頴娃は平姓頴娃氏の領地だった地でしたが、
応永25年(1418)に島津元久に敗れ、
島津家の所有となった地域。
その後に肝付兼政に与えられており、
伴姓頴娃家を名乗って8代続きます。
その後に豊臣秀吉の九州征伐で敗れ、
島津家の領地が縮小した事に伴い、
伴姓頴娃家は谷山… 続きを読む
鹿児島県南九州市 頴娃地頭仮屋跡
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頴娃は平姓頴娃氏の領地だった地でしたが、
応永25年(1418)に島津元久に敗れ、
島津家の所有となった地域。
その後に肝付兼政に与えられており、
伴姓頴娃家を名乗って8代続きます。
その後に豊臣秀吉の九州征伐で敗れ、
島津家の領地が縮小した事に伴い、
伴姓頴娃家は谷山… 続きを読む
川辺の地頭は南北朝時代より島津氏で、
以後も同族の中でその支配が争われ、
総州家、奥州家、薩州家と支配が代わり、
最終的に宗家の直轄になっています。
「川辺御仮屋跡… 続きを読む
指宿麓は薩摩半島南部にあった小規模の外城。
延享元年(1744)に今和泉郷が新設され、
その管轄地が少なくなっており、
江戸末期には西方村の一部、東方村、十町村、
十二町村がその範囲となっています。
「… 続きを読む
谷山麓は城下から10km南にある外城。
周辺は郡司谷山氏の領地でしたが、
南北朝時代に島津家の領地となり、
以後は直轄地となっていました。
江戸時代には地頭仮屋が置かれており、
その周辺に麓集落が形成されています。
「谷山地頭仮屋跡(谷山小学校)」。… 続きを読む
吉田麓は薩摩藩直轄の外城。
元々は豪族吉田氏の領地でしたが、
後に島津家の所領となりました。
吉田は大隅国西部への足掛かりとして、
蒲生氏との戦いの侵攻拠点として機能。
後に島津歳久の所領となっており、
天正8年(1580)以降は直轄地となりました。
「吉田御仮屋跡(吉田小学校跡)」。… 続きを読む
蒲生麓は薩摩藩直轄の外城で、
鹿児島城下から五里半の位置にありました。
別府川と蒲生川の間に麓集落が形成され、
現在も景観をよく残しています。
江戸中期に形成された比較的新しい麓で、
それ故に機能的な町割りとなっている模様。
「蒲生地頭仮屋跡」。
蒲生地頭仮屋跡は… 続きを読む
帖佐は島津義弘の居館があった地で、
豊臣秀吉の太閤検地後に義弘に与えられ、
その居館(御屋地)が建てられました。
後に義弘は平松城(後の重富御仮屋)に移住し、
その居館を長女の千鶴に与えた為、
千鶴は[… 続きを読む