明治10年6月20日。
大口の戦いに敗れた雷撃隊隊長辺見十郎太は、
敗走する際に池田の松並木で馬を止め、
高熊山を振り返り遠望しながら、
「死をとして固守すること四句あまり
ついに要害の地高熊山をクソ鎮に奪わる。
あぁ、わがことすでに終る」と、
松の木に持たれて無念の涙を流したという。
「辺見十郎太 … 続きを読む
「薩摩藩」タグアーカイブ
鹿児島県伊佐市 馬越地頭仮屋跡
馬越麓は菱刈家が治めていた地で、
馬越城の城下町であった場所。
永禄10年(1567)に島津家により攻略され、
永禄12年(1569)に島津家の領地となります。
江戸時代は薩摩藩の直轄地となり、
地頭仮屋が置かれて麓が形成され、
中央より地頭が派遣されました。
「… 続きを読む
鹿児島県伊佐市 大口地頭仮屋跡
大口麓は薩摩国北端にある外城で、
肥後国との国境近くにあります。
戦国時代には新納忠元が地頭と務め、
国境の備えとして睨みを利かしており、
江戸時代は薩摩藩の直轄領となって、
地頭が詰める地頭仮屋が設置されました。
「… 続きを読む
京都府京都市 清水谷家の椋
御所の南西角に椋の巨木があります。
この木は樹齢300年とされており、
清水谷家の邸内にあったもの。
この清水谷家は西園寺家(清華家)の一族で、
西園寺公経の二男一条実有を祖とし、
8代一条実秋が摂関家… 続きを読む
京都府京都市 相国寺
相国寺は臨済宗相国寺派の大本山で、
臨済宗の京都五山第二位の大寺院。
「総門」。
相国寺通りを北上した場所にある惣門。
天明8年(1788)の天命の大火で消失し、
これは寛政9年(1797)に再建されたもの。
相国寺はこの大火で多くの堂宇を焼失。
現存する建物はの多くは、… 続きを読む
京都府京都市 京都薩摩藩邸跡
文久2年9月。
薩摩藩は相国寺より二本松の地を借り受け、
京都御所に程近いこの場所に、
新たな薩摩藩邸を造営しています。
「薩摩藩邸跡」碑。
同志社大学今出川キャンバス門前にある碑。
藩邸は5805坪(19000㎡)あったとされ、
現在の今出川キャンバスの約2/3にあたり、
9棟の建物と土蔵が建ち並んでいたとのこと。… 続きを読む
京都府京都市 大黒寺
大黒寺は伏見区鷹匠町にある真言宗寺院。
島津義弘が祈祷所としたことで、
薩摩の守り本尊[出世大黒天]にちなみ、
大黒寺と称したようですが、
元々は長福寺という寺名だったようです。
「大黒寺」。
薩摩藩にゆかり深い寺であった為、
一般では薩摩寺… 続きを読む