御所の南西角に椋の巨木があります。
この木は樹齢300年とされており、
清水谷家の邸内にあったもの。
この清水谷家は西園寺家(清華家)の一族で、
西園寺公経の二男一条実有を祖とし、
8代一条実秋が摂関家… 続きを読む
京都府京都市 清水谷家の椋
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御所の南西角に椋の巨木があります。
この木は樹齢300年とされており、
清水谷家の邸内にあったもの。
この清水谷家は西園寺家(清華家)の一族で、
西園寺公経の二男一条実有を祖とし、
8代一条実秋が摂関家… 続きを読む
相国寺は臨済宗相国寺派の大本山で、
臨済宗の京都五山第二位の大寺院。
「総門」。
相国寺通りを北上した場所にある惣門。
天明8年(1788)の天命の大火で消失し、
これは寛政9年(1797)に再建されたもの。
相国寺はこの大火で多くの堂宇を焼失。
現存する建物はの多くは、… 続きを読む
文久2年9月。
薩摩藩は相国寺より二本松の地を借り受け、
京都御所に程近いこの場所に、
新たな薩摩藩邸を造営しています。
「薩摩藩邸跡」碑。
同志社大学今出川キャンバス門前にある碑。
藩邸は5805坪(19000㎡)あったとされ、
現在の今出川キャンバスの約2/3にあたり、
9棟の建物と土蔵が建ち並んでいたとのこと。… 続きを読む
大黒寺は伏見区鷹匠町にある真言宗寺院。
島津義弘が祈祷所としたことで、
薩摩の守り本尊[出世大黒天]にちなみ、
大黒寺と称したようですが、
元々は長福寺という寺名だったようです。
「大黒寺」。
薩摩藩にゆかり深い寺であった為、
一般では薩摩寺… 続きを読む
南洲墓地にある大山綱良の墓。
「大山綱良墓」。
初代鹿児島県令大山綱良の墓。
城下士樺山善助の次男に生まれますが、
後に大山四郎助の婿養子となりました。
精忠組に加入して勤皇を唱えますが、
寺田屋事件では鎮撫使… 続きを読む
南洲墓地にある坂元申太郎の墓。
「坂本清緝墓」。
一番大隊四番小隊長坂元申太郎の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士坂元廉四郎の子で、
戊辰戦争で薩摩藩十二番隊に属し、
奥羽… 続きを読む
南洲墓地にある森岡長左衛門の墓。
「森岡昌武墓」。
一番大隊七番小隊長森岡長左衛門の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
戊辰戦争に出征して功を挙げ、
鹿児島常備隊の小隊長を務めた後、
明治4年に近衛陸軍大尉… 続きを読む