明治10年6月20日。
大口の戦いに敗れた雷撃隊隊長辺見十郎太は、
敗走する際に池田の松並木で馬を止め、
高熊山を振り返り遠望しながら、
「死をとして固守すること四句あまり
ついに要害の地高熊山をクソ鎮に奪わる。
あぁ、わがことすでに終る」と、
松の木に持たれて無念の涙を流したという。
「辺見十郎太 涙松跡記念碑」。
昭和52年9月に建立された記念碑。
後に地元では松並木を[辺見どんの涙松]と呼び、
大切にしていたようですが、
明治末期に落雷で消失してしまい、
後の道路拡張工事の際に、
切株さえ無くなってしまったとこの。
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