明治10年6月。
水俣の政府軍が大口へ侵攻しますが、
辺見十郎太率いる雷撃隊は、
これを迎え撃つ為に坊主石山に布陣。
6月18日に激しい戦闘が行われたようで、
雷撃隊は6月20日に撤退しています。
山之口霊苑という小さな墓地に、
雷撃隊の戦死者合葬碑があります。
「西南の役薩軍無名兵士無縁者之霊碑」。
雷撃隊の撤退後の坊主石山には
薩軍37人の遺体が折り重なっていたようで、
これらを地元民が集めて埋葬し、
墓碑を建てて供養を行ったとされます。
現在の墓碑は新しいものですが、
たぶん両脇の石が当時の墓石でしょう。
彼らは出水郡の出身者であったとのこと。
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