在任中に死去した長崎奉行は数人いるようで、
これについて2度程記事にしています。
長崎県長崎市 皓臺寺/長崎奉行の墓
長崎県長崎市 大音寺/松平図書頭墓所
今回晧台寺横の幣振坂を登った際、
巨大な墓石を見つけたので墓碑を見ると、
長崎奉行だった松波正房のものだった為、
わざわざ遠回りして参拝いたしました。
※幣振坂からは墓域には行けません。
「宏智院殿英譽正房察彦大居士」。
長崎奉行松波正房の墓。
松波家は斎藤道三の末裔と称す旗本家で、
支流を含めて5家が旗本に列していました。
正房の家は平右衛門家と呼ばれる系譜で、
松波勝吉を初代とし700石を所領。
正房はその4代目の当主だったようで、
優秀な人物だったようです。
代々務めていた大番から勘定吟味役に転じ、
寛保元年(1741)には佐渡奉行に昇進、
更に寛保3年(1743)に長崎奉行に転じます。
しかし程なく病に倒れてしまい、
延享3年(1746)に在任のまま死去。
大音寺の墓地に葬られました。
正房の家督は長男松波正英が相続し、
正英の次代は松波正邦が継承。
以降の系譜は資料がなく不明ですが、
幕末まで続いているようです。
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