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出島に10年ぶりに行ってみました。
何度も長崎には足を運んでおり、
脇の道を車や路面電車で通っていましたが、
その度に復元作業が進んでいましたので、
今回は機会を作って再訪してみました。
「出島」。
第二次世界大戦終結後にオランダは、
出島の復元を日本政府に要請しており、
これに対して長崎市は昭和26年頃から、
出島の復元整備事業に着手します。
出島跡の民有地買収を順次開始し、
現在まで三期の復元整備事業が進められ、
発掘調査、石垣修復、建築物の復元等、
往時の出島が甦ってきており、
2050年を目標に完全に復元される予定。
「出島表門橋」。
平成29年に架設された出島への橋。
10年前に訪問した際の入口は、
後記する水門を入口としていましたが、
やはりここから出島に渡ると違います。
この橋は結構な長さがありますが、
これは中島川河口の拡張工事で、
出島の敷地が削られてしまった為、
往時の石橋を再現する事が出来ず、
このような特殊な橋となりました。
この橋を渡り表門を入れば出島です。
内部に進むと両脇に石倉が建てられおり、
それぞれで案内や展示がされています。
「新石倉」。
入って右手側にある石倉。
総合案内所や出島シアターが設置され、
施設やイベントの案内がされている他、
映像で出島案内もしています。
「旧石倉」。
入って左手側にある石倉。
発掘調査で出土した資料を展示しています。
「ル・フォショウ式リボルバー」。
発掘調査で発見された拳銃。
商館長の護身用ではないかとされています。
その他も沢山の出土品が展示されており、
非常に興味深い内容でした。
「拝礼筆者蘭人部屋」。
新石倉の隣の建物は拝礼筆者蘭人部屋。
帳簿等の筆記を行う蘭人書記長の住居で、
内部では蘭学について紹介しています。
「倉庫群」。
拝礼筆者蘭人部屋の隣は蔵が連なっています。
手前から三番蔵、二番蔵、一番蔵と続き、
最奥が一番船船頭部屋。
各蔵には砂糖や蘇木(染料)等の輸入品が、
水門より陸揚げされて収められました。
船頭部屋は文字通り蘭人船長の居宅。
「ヘトル部屋」。
一番船船頭部屋の向かいはヘトル部屋。
ヘトルは商館長次席の事で、
2番目に偉い人の住まいです。
ミュージアムショップになっていました。
「カピタン部屋」。
カピタンはオランダ商館長の事で、
1番偉い人の事務所兼住居。
それゆえ出島内最大の建物であり、
その内部も豪華でした。
幕府役人や大名が出島を訪れた際には、
その接待の場所にもなったという。
カピタンが使用していたのは2階で、
1階は倉庫兼使用人達の作業スペース。
全ては紹介しませんが内部を少しだけ。
「17.5畳の部屋」。
玄関入って右手の部屋。
調度品や壁紙は異国感ありますが、
床は畳の和洋折衷です。
「大広間」。
阿蘭陀冬至(クリスマス)の宴が再現され、
テーブルには豚の頭の丸焼き等、
当時の蘭人の食文化もわかります。
オランダ商館長は初代J.スペックスから、
最後のJ.H.D.クルティウスまで162代続き、
キリスト教を布教させない為に、
基本的に毎年交代させられていました。
4年に一度の江戸参府も義務付けられ、
多くの献上物を携えて将軍に拝謁しています。
つづく。
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■関連記事■
・長崎県長崎市 出島
10年前に出島に行った際の記事。
・長崎県長崎市 唐人屋敷跡
長崎にあった唐人の居住区。
・長崎県長崎市 グラバー園①
長崎にあった外国人居住区。