長崎県長崎市 眼鏡橋

眼鏡橋中島川に架かる石造二連アーチ橋
日本初の石造アーチ橋とされており、
水面に映しだされた姿と本体が、
眼鏡に見えた為に眼鏡橋と呼ばれました。


眼鏡橋」。
寛永11年(1634)に架橋されたもので、
興福寺2世黙子如定が建造させました。
当時の中島川は度々氾濫して、
その度に橋は流されていたようで、
見かねた黙子は中華より石工を呼び、
この橋を建造させたとされます。
以降は度々の水害にも耐えたようで、
損傷はあるものの修復されて現存。
現在は長崎のランドマークとなり、
観光客の絶えない場所となっています。

中島川には眼鏡橋を含めて27の橋があり、
江戸期以前の石橋も多くありましたが、
その殆どが長崎大水害で崩落しており、
現在の橋はそれ以降に修復されたり、
架け直されたものであるとのこと。

川沿いに全ての橋を観て廻るのは、
時間の関係上無理だったので、
眼鏡橋の上流下流隣の橋のみ行きました。

袋橋」。
眼鏡橋の下流隣にある石橋で、
架設者や架設時期が不明のもの。
元々寛永年間(1624-1645)には、
木廊橋が架けられていたようですが、
石造アーチ橋にかけ替えられたという。
長崎大水害で崩落しましたが、
元の石材を集めて修復されています。

眼鏡橋の上流隣はRC造魚市橋なので、
更に上流の東新橋へ。

東新橋」。
寛文13年(1673)以前に架橋されており、
誰がどう建設したかは不明とのこと。
唐人によるものと推測されますが、
詳しいことは定かではありません。
こちらは元の石材ではなく、
唐津市梨川内安山岩を使用し、
石造アーチ橋として再架設されたもの。

志士達も通ったであろう石橋群。
誰がどこを通ったとか記録はありませんが、
長崎に滞在した志士ならば、
普通に通っていた事でしょう。

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