熊本士族池辺吉十郎は熊本隊を結成し、
西郷軍に参加して各地と転戦。
水俣から大口へ進軍する政府軍を抑える為、
辺見十郎太率いる雷神隊と共に、
人吉から大口へと移動しています。
明治10年5月4日。
水俣の政府軍別働第3旅団3個大隊は、
大口攻略の為に山野まで進軍しますが、
西郷軍はこれを迎え撃つべく進軍。
翌5日より両軍の戦闘が開始されて、
11日頃に水俣まで政府軍を押し返しました。
しかし政府軍は体勢を立て直すと、
再び大口攻略の為に進軍。
圧倒的な戦力差に撤退を余儀なくされ、
6月13日に熊本隊は高熊山に陣地を構築し、
政府軍を迎え撃つ事となります。
激しい攻防戦は七日間に及んだようで、
6月20日の最後の激戦の後に陥落。
西郷軍は大口方面へ撤退しました。
この戦いで戦死した熊本隊士らの墓が、
高熊山の南麓にあります。
「熊本隊戦死者墓地」。
定期的な草刈りはされているようですが、
訪問時は結構草に覆われていました。
これは仕方ないでしょう。
「熊本隊戦没隊士銘碑」。
高熊山での戦闘で戦死した隊士ら、
15名の所属と名が刻まれる碑。
三番隊 半隊長 安岡競
隊士 佐藤嘉津馬
四番隊 小隊長 芦村準
隊士 岩崎谷蔵
高木恵一郎
中村満房
井澤市能
北里利勝
有田静
牛島清勝
田代甚作
五番隊
隊士 柳井金吾
隊号不詳
隊士 森田鹿蔵
米良佐七郎
雑賀長十郎
碑の前には草で隠れていますが
墓石が建てられています。
草に覆われて危うく蹴とばしそうで、
何とか気づいて避けました。
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