熊本県玉名郡 城ノ原官軍墓地

南関御茶屋跡の駐車場より南関城跡へ。


南関城の登城口」。
南関城は加藤清正の家臣加藤正次により、
慶長5年(1600)に築城が開始され、
慶長9年(1604)に完成したという。
縄張りは清正自らが担当し、
正次が城代を務めていたようです。
城は一国一城令によって失われており、
他の廃城と比べて徹底的に破壊され、
再利用が不可能な状態にされました。
これは島原の乱の影響であるようです。

この南関城の本丸跡に西南戦争戦死者の、
官軍墓地が設置されています。

城ノ原官軍墓地」。
官軍野戦病院となった西宗寺に、
※南関町大字関村の西宗寺。
仮埋葬されていた戦死者、戦病死者らが、
戦争終結後に本葬されたもの。


政府軍将兵77柱の墓碑が並んでおり、
主に木葉の戦い高瀬の戦いでの戦死者。
双方とも西南戦争初期の戦いで、
木葉の戦いは西郷軍の勝利でしたが、
高瀬の戦いは政府軍の勝利となっています。

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