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つづき。
「量泰院殿寛應静山大禪伯(右)」、
「蓮池院殿殿即心成大姉(左)」。
9代当主島津貴儔の墓と、
9代貴儔の奥方の墓。
薩摩藩4代藩主島津吉貴の三男に生まれ、
垂水島津家8代島津忠直の婿養子となります。
元文3年(1738)に御一門の家格が新設され、
垂水島津家もこれに列しました。
藩政に参与して4代藩主から9代藩主まで補佐し、
家中で大きな影響力を持っていたとされ、
寛政3年(1791)に82歳で死去しました。
「景徳院殿恕山宥大居士(右)」、
「慈試院殿觀月妙相大姉(左)」。
10代当主島津貴澄の墓と、
10代貴澄の奥方の墓。
4代藩主吉貴の六男として生まれ、
兄で垂水家9代貴儔の養子となり、
安永4年(1775)に貴儔の隠居で家督を相続。
郷校文行館を創設して家臣教育を行い、
全国から儒学者を招集しています。
領内は安永8年(1779)の桜島噴火で被災し、
その被災者の救助や復旧に力を注ぎ、
後に犠牲者の供養塔を建立。
享和3年(1803)に隠居しており、
文化4年(1807)に70歳で死去しました。
「宝覚院殿仁峯宗覚大居士(右)」、
「清蘭院殿玉失貞香大姉(左)」。
11代当主島津貴品の墓と、
11代貴品の奥方の墓。
日置島津家10代島津久暢の長男に生まれ、
10代貴澄の養子となって家督を継ぎます。
13年の当主在任の後に死去。
「霊源院殿皎雲静水大居士(右)」、
「涼相院殿殊林妙好大姉(左)」。
12代当主島津貴柄の墓と、
12代貴柄の奥方の墓。
11代貴品の子として垂水に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
天保2年(1831)に隠居して家督を譲り、
天保4年(1833)に死去しました。
「賢徳院殿仁翁栖山大居士」。
13代当主島津貴典の墓。
12貴柄の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
領内を細かく見た賢君であったとされ、
家臣に安永の桜島噴火の記録を集めさせ、
「桜島燃記」として記録させています。
安政3年隠居して家督を譲り、
元治2年に56歳で死去しました。
「亀遊貴敦彦命墓」。
14代当主島津貴敦の墓。
13代貴典の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
藩命により洲崎台場を建設しており、
薩英戦争にも出陣して功績を挙げ、
戊辰戦争にも家臣団を出陣させています。
明治9年に隠居して家督を譲り、
明治23年に死去しました。
「梅窓風雅雄命(右)」、
「足操春榮姫之命(左)」。
15代当主島津貴徳の墓と、
15代貴徳の奥方の墓。
垂水市内の小学校の校長を務めたようですが、
詳しい事は判りません。
令和2年の豪雨災害で被害を受け、
土砂崩れで墓所の一部が被災しており、
訪問時はその復旧作業中。
幸いにも当主の墓は被害を免れていた為、
なんとか記事に出来ました。
作業中の皆様。頑張って下さい。
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