柳河藩3代藩主立花鑑虎は隠居後、
集景亭を建設して余生を過ごしていますが、
※集景亭は後に会所、御花畠を経て、
現在は立花氏庭園となっています。
雪峰山に雪峰軒を建てて度々訪れたという。
冬の朝に別荘から眺める峰々に積もる雪が、
美しく素晴らしかった事に鑑虎は感動し、
死後はここに葬るように遺言した為、
その遺言に従って鑑虎は葬られました。
「霊明寺跡」。
鑑虎の墓所には菩提寺霊明寺が建立され、
その墓所を守っていましたが、
現在は廃寺となって墓のみが残っています。
柳川城下から10km程度の山ですが、
田園地帯の彼方に柳川城を望めたという。
実母法雲院は仙台藩2代伊達忠宗の娘で、
将軍徳川秀忠の養女となった後に、
柳河藩2代立花忠茂の継室となった女性で、
落飾後は東南の御牧山に牧場を開き、
余生に仙台馬を飼育していたようです。
鑑虎はその母に会う為に度々出向き、
この地に別荘を建てるに至りました。
「雪峰山立花藩主墓所」。
石段を上った先に墓所があり、
右に鑑虎、左に4代立花鑑任の墓が並ぶ。
鑑虎の次男で4代藩主となった鑑任も、
歴代墓所の福厳寺ではなく、
父の傍らを墓所とした為、
父子の墓が並んで建っています。
※5代立花貞俶以降は福厳寺が墓所。
「雪峰院殿英山性俊大居士之塔」。
3代藩主立花鑑虎の墓。
柳河藩2代藩主立花忠茂の四男に生まれ、
父の隠居により家督を相続しました。
藩政では領内検地、倹約令、宗門改め等、
柳河藩領内の安定に努めており、
32年の治世の後に次男鑑任に家督を譲り、
集景亭を遊息の地として余生を過ごし、
元禄15年(1702)に死去しています。
鑑虎が父忠茂より家督を相続する際、
異母兄の立花茂虎が息災していましたが、
母の身分が低かった為に継嗣となれず、
忠茂より僧籍となる事を命じられますが、
これを拒否した為に忠茂の怒りを買い、
家臣預かりの不遇な扱いとなっています。
この兄の状況を不憫に思っていた鑑虎は、
茂虎に少々の領地を与えてこれを慰め、
父忠茂の死後には立花帯刀家を興させ、
叔父立花政俊の立花内膳家と共に、
立花御両家として家臣団最高位とし、
藩主に継嗣無き場合の御連枝となりました。
※5代藩主貞俶は立花帯刀家出身。
「霊明院殿常心法鑑大居士之塔」。
4代藩主立花鑑任の墓。
3代鑑虎の次男として生まれ、
父の隠居により家督を相続しています。
叔父立花貞晟に5000石を分与しており、
貞晟は旗本寄合立花弾正家を創設。
鑑任は貞晟の事を信頼していたという。
実子勝千代が早世してしまい、
継嗣無く39歳で死去した為、
貞晟の養子で立花弾正家を継いた貞俶が、
末期養子として5代藩主に就任しています。
遺言により父の傍らに葬られますが、
貞俶以降の藩主は福厳寺を墓所とし、
霊明寺の藩主家墓所は、
3代、4代の親子のみとなりました。
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