今更ながら本陣伊藤家の記事。
伊藤家は鎌倉時代よりの名家の家柄で、
室町時代、江戸時代には町の大年寄を務め、
町代官も務める指導的立場であったという。
参勤交代で訪れる諸大名の本陣も務め、
※伊藤家は東本陣で、西本陣は佐甲家。
江戸参府で立ち寄る出島のカピタンも、
下関の本陣に必ず宿泊しており、
その為か歴代当主は蘭癖だったとされ、
舶来物も多く所蔵していたとされます。
室町時代には下関の交通や流通を掌握し、
対馬の宗家を介した朝鮮貿易も行っており、
対馬府中藩と親密であったという。
他の諸大名の用達も行っていた為、
その財力も相当なものでした。
「本陣伊藤邸跡」。
現在の伊藤邸跡は駐車場となっており、
写真の一角に跡碑や説明板が設置され、
伊藤邸があった事を示しています。
手洗鉢は仰々しい説明となっていますが、
要は明治天皇が西国行幸した際に、
伊藤邸に宿泊した際に使用したもので、
はじめから伊藤家の手洗鉢だったもの。
西郷隆盛供奉は西郷が一緒だったという事。
「伊藤邸の井戸跡」。
伊藤邸の唯一遺構。
屋敷裏の庭にあった井戸のようです。
この伊藤邸は遺構が殆ど無い為、
どのように建っていたのかは、
想像する他ありません。
説明板に間取りが載っているので、
航空写真に照らしてみました。
たぶんこんな感じか・・・?
井戸の位置がちょっと違いますが、
裏手の石垣に合わせるとこうなるので、
こんな感じという捉え方でお願いします。
赤い部屋が坂本龍馬が住んだ自然堂の位置。
勿論これが合っていればの話。
吉田松陰は3度下関を訪れていますが、
何れも伊藤邸を訪問しています。
西国遊学の際に松陰は風邪を拗らせ、
当主伊藤杢之助(静斎)に出立を止められて、
医者を呼んでもらっています。
高杉晋作も伊藤邸に訪れており、
杢之助と酒を飲んで語り合っています。
この杢之助は若い頃に賊を数十人斬り、
後に伊藤家の養子となった人物という。
次代の伊藤助太夫(九三)は、
坂本龍馬の支援者として知られ、
龍馬の最晩年の活動拠点となっており、
妻のお龍と伊藤邸の一室で生活し、
その部屋を自然堂と名付けています。
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