吉田麓は薩摩藩直轄の外城。
元々は豪族吉田氏の領地でしたが、
後に島津家の所領となりました。
吉田は大隅国西部への足掛かりとして、
蒲生氏との戦いの侵攻拠点として機能。
後に島津歳久の所領となっており、
天正8年(1580)以降は直轄地となりました。
「吉田御仮屋跡(吉田小学校跡)」。
吉田御仮屋跡は吉田小学校の跡地。
ご老人方がゲートボールを楽しんでいました。
吉田氏の居城吉田城(松尾城)へ行ってみます。
「松尾城跡」。
吉田城は松尾城とも呼ばれる山城で、
応永年間(1394-1428)に吉田清正が築城。
永正15年(1518)に宗家13代島津忠隆により、
落城させられて吉田氏は滅亡しています。
その後に島津歳久が城主となっており、
蒲生氏の再三の攻撃を防ぎましたが、
天正8年(1580)に歳久は祁答院へ移封。
吉田はその後に直轄領となりました。
「心岳良空大禅伯 尊堂」。
島津歳久の招魂碑。
歳久は後に豊臣秀吉の怒りを買い、
兄義久と戦いって自害しました。
吉田の士民が歳久の壮絶な最後を偲び、
かつての居城に招魂碑を建立しています。
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