藩主家墓所」タグアーカイブ

鹿児島県鹿児島市 島津家常安墓所

島津宗家の墓所は福昌寺跡にあり、
6代から28代までの当主の墓があります。
しかし29代当主島津忠義(12代藩主)は、
裏山の常安峰に墓所が営まれており、
以降の宗家の墓所となりました。


島津家常安墓所」
残念ながら非公開で門前のみ。
昔は入れたようなのですが、
何年か前に立ち入れなくなった模様。


閉じられた門から覗きますが、
墓所は全く見えません。… 続きを読む

鹿児島県鹿児島市 津友寺跡/島津忠治墓跡

島津宗家12代当主島津忠治は、
吉田城主吉田位清との戦いの陣中で病死。
佐多浦の津友寺に埋葬されました。

津友寺は廃仏毀釈により廃寺。
跡地に参道や墓地が残っています。

津友寺跡」。
入口には西南戦争の招魂碑がありましたが、… 続きを読む

鹿児島県霧島市 龍護院金剛寺跡

慶長9年(1604)に隠居した島津義久は、
祈願所として龍護院金剛寺を建立。
寺名は義久の号である龍伯に因み、
大乗院の末寺に属していたという。


龍護院金剛寺跡」。
廃仏毀釈によって廃寺となっていますが、
跡地には島津義久の三重石塔の他に、
多くの… 続きを読む

鹿児島県霧島市 島津義久墓所

島津宗家16代当主島津義久は隠居後、
国分舞鶴城を築いて移り住み、
7年後の慶長11年(1611)に死去しました。
その遺骨は宗家菩提寺である福昌寺の他に、
国分の龍護院金剛寺徳持庵に分骨。
福昌寺と金剛寺では墓が建てられましたが、… 続きを読む

鹿児島県肝属郡 道隆寺跡

道隆寺は肝付町新富にあった臨済宗寺院。
南宋の僧蘭渓道隆が開山したとされ、
領主だった肝付家の菩提寺となりました。
明治初頭に廃仏毀釈で廃寺となりますが、
後に有志や土地所有者が整備し、
石塔類の発掘復元続きを読む

鹿児島県志布志市 即心院跡/島津氏久墓所

島津氏久は5代当主島津貞久の四男で、
島津宗家6代当主及び奥州家初代当主。
嫡嗣であった島津宗久が早世した為、
貞久は三男島津師久薩摩守護職を、
四男の氏久に大隅守護職を譲り、
自らの所領を分割統治させます。… 続きを読む

宮崎県宮崎市 飫肥藩伊東家僑墓

安井家の墓の近くにある飫肥藩伊東家の墓所。
清武薩摩藩と国境を接する重要拠点で、
飫肥藩では重臣を配置してこれを守り、
多くの藩士が在郷していました。
飫肥から遠く離れた清武では、
藩主の墓への参拝出来なかった為、
末寺の文永寺僑墓が建立されています。


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