大分市常行に毛利空桑の墓所があります。
毛利家は代々鶴崎で医者をしていた家系で、
父の毛利太玄は苦学の末に医学を極め、
熊本藩の藩医を務めた他にも、
杵築藩、岡藩、日出藩にも招かれた名医。
空桑はその太玄の次男でした。
「毛利家墓所… 続きを読む
「熊本藩」タグアーカイブ
大分県大分市 野津原宿跡
野津原宿は豊後(肥後)街道の宿場町で、
加藤清正が設けた5ヶ所の宿場町のひとつ。
大分市野津原周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが野津原宿跡。
国道442号線を一ノ瀬橋を渡った辺りから、
北へ向かい西側から散策。
「新町」。
比較的新しく発展した新町。
町屋が軒を連ねていたようですが、… 続きを読む
大分県竹田市 久住宿跡
久住宿は豊後(肥後)街道の宿場町。
久住は熊本藩領であったようで、
藩営の御茶屋が設置されており、
熊本藩主が参勤の際に宿泊していました。
竹田市久住町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが久住宿跡。
南端より散策。
緩やかな上り坂が真っ直ぐ伸びており、
商店等が現在も営まれています。
「佐藤酒造(株)… 続きを読む
東京都中央区 熊本新田藩上屋敷跡
■熊本新田藩■
熊本藩3代藩主細川綱利の弟細川利重が、
蔵米3万5000石を分与され立藩。
維新に熊本藩の高瀬町奉行所を仮藩庁とし、
高瀬藩として届けられました。
明治3年に正式に高瀬陣屋を建設しますが、
熊本県玉名市 高瀬陣屋跡… 続きを読む
福岡県みやま市 松風の関跡
松風の関は筑後国と肥後邦の国境で、
両国を結ぶ唯一の街道が通っていた場所。
※薩摩街道、豊前街道と呼ばれますが、
当ブログでは薩摩街道としています。
「松風の関跡」。
ネットでいくつか散見されるのは、
[幕府直轄の関所が置かれた]とのことですが、
色々と調べるとどうも違うみたいです。
南に南関という… 続きを読む
熊本県玉名市 高瀬陣屋跡
高瀬藩は熊本藩の支藩。
寛文6年(1666)に熊本藩3代藩主細川綱利が、
実弟細川利重に蔵米3万5000石を分与し、
熊本新田藩として立藩させています。
参勤交代を行わない定府大名だったようで、
藩主は江戸の鉄砲洲… 続きを読む
鹿児島県伊佐市 熊本隊戦死者墓地
熊本士族池辺吉十郎は熊本隊を結成し、
西郷軍に参加して各地と転戦。
水俣から大口へ進軍する政府軍を抑える為、
辺見十郎太率いる雷神隊と共に、
人吉から大口へと移動しています。
明治10年5月4日。
水俣の政府軍… 続きを読む