剣豪宮本武蔵は晩年熊本藩に迎えられ、
熊本城東部に屋敷を与えられており、
その余生を過ごしています。
熊本藩初代藩主細川忠利は武蔵に対し、
破格の待遇を与えていたようで、
鷹狩りも許可されていたという。
2代藩主細川光尚も同様に接したとされ、
悠々自適な生活をしていたようですが、
やがて金峰山… 続きを読む
熊本県熊本市 宮本武蔵墓所
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剣豪宮本武蔵は晩年熊本藩に迎えられ、
熊本城東部に屋敷を与えられており、
その余生を過ごしています。
熊本藩初代藩主細川忠利は武蔵に対し、
破格の待遇を与えていたようで、
鷹狩りも許可されていたという。
2代藩主細川光尚も同様に接したとされ、
悠々自適な生活をしていたようですが、
やがて金峰山… 続きを読む
小峰墓地は熊本市中央区黒髪の市営墓地。
非常に草深いところであったとされ、
熊本城の鬼門(丑寅)にあたります。
かつては陸軍墓地があったようで、
西南戦争から大東亜戦争までの戦死者が、
ここに葬られていたという。
現在は墓地公園として整備されており、… 続きを読む
泰勝寺跡にある四つ御廟より、
泰勝寺歴代住職の墓域に行けますが、
そこにある2代住職春山和尚の墓の隣に、
宮本武蔵の供養塔とされる塔があります。
「伝 宮本武蔵供養塔」。
宮本武蔵は二刀流(二天一流)で知られる剣豪… 続きを読む
細川忠興の五男細川興孝は、
忠興より2万5000石を与えられ、
※後に1万石となる。
一門家老家として細川刑部家を創設。
泰勝寺塔頭慈眼庵を墓所としています。
「細川刑部家墓所」。
慈眼庵は維新後に廃寺となっており、
現在は細川刑部家墓所のみ残ります。… 続きを読む
峰雲院は中央区坪井にある曹洞宗寺院。
熊本藩家老有吉家4代有吉英貴が、
寛永11年(1634)に建立しました。
同地は元々有吉家の下屋敷だったという。
「本堂」。
峰雲院は西南戦争で焼失しており、
昭和49年に再建されています。
墓地は本堂の裏手。… 続きを読む