立石陣屋は交代寄合立石木下家の本拠。
木下家は豊臣秀吉の正室高台院の実家で、
元々は杉原氏を名乗っていましたが、
秀吉に重用されて豊臣姓木下氏を名乗り、
その姻戚として厚遇されています。
豊臣家滅亡後も紆余曲折あったものの、
大名として足守藩主及び日出藩主の2家が、
江戸時代を通じて存続。
立石木下家は日出藩木下家の分家にあたり、
日出藩初代藩主木下延俊の四男木下延由が、
5000石を分知されて分家した家でした。
立石領には金山があったようで、
実際の石高よりも裕福だったとされ、
旗本ながら大名規模の財力があったという。
しかしながら中期以降は金脈も掘り尽くされ、
他の旗本と同等の財力となっており、
江戸後期には財政が悪化していたとのこと。
「立石陣屋跡」。
立石こども園の南側の空地が立石陣屋跡。
150m四方の敷地と規模は大きく、
御殿もある立派なものだったようです。
[北部中学校跡地]等の碑はありますが、
残念ながら陣屋の跡碑はありません。
10代当主木下俊国は天保8年(1837)に、
領校無逸館を陣屋内に設置しており、
北部中学校はその流れを汲む由緒のもの。
廃校になったのは残念です。
立石木下家初代当主木下延由は、
豊臣秀頼の遺児国松丸ではないかと、
ロマンある仮説があったりしますが、
現実的に考えて無理があるかな?
でもそれも面白い話ですし、
目くじら立てて否定する程の話でもない。
[そうだったかも?]とロマンで語りましょう。
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城下にあった日向街道の宿場。
