大分県速見郡 松屋寺/日出藩木下家墓所①

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日出藩の藩主家木下家の歴代墓所は、
曹洞宗康徳山松屋寺


松屋寺山門」。
元々は西明寺という天台宗だった寺を、
初代藩主木下延俊が曹洞宗に改め、
祖母朝日の方の法名にちなみ、
康徳山松屋寺と改めます。
※朝日の方の法名は康徳寺殿松屋妙貞大姉。


本堂と大蘇鉄」。
現在の本堂は大正期に再建されたもの。
大蘇鉄は日本一の大蘇鉄と呼ばれています。
秘寶殿には加藤清正が狩った虎の頭蓋骨や、
天目茶碗絹本著色仏涅槃図等が、
展示されているようですが、
残念ながら時間の関係で観ていません。
本堂の裏には雪舟庭園もあるようです。

木下家の墓所へ。

木下家墓所」。
敷地は広くはありませんが、
きちんと手入れがされているようで、
とても綺麗な墓所でした。
程よい大きさの五輪塔が美しい。
ここに13、16代以外の藩主及び正室、
殉死した家臣の墓があります。


茂叔淨英」。
初代藩主木下延俊の父木下家定の墓。
家定は足守藩の初代藩主で、
豊臣秀吉の正室高台院(おね)の実兄。
義弟秀吉に主従して木下姓を名乗り、
姫路城を与えられました。
子のない妹夫婦とは違い子沢山で、
家督を継いだ次男木下利房の他に、
日出藩の初代で三男の延俊、
小早川家を継いだ五男小早川秀秋など、
諸子含み八男も設けています。
関ヶ原の戦いでは中立を保ち、
足守に転封となっていますが、
次男の利房に家督を譲って出家。
足守に入る事無く京都で死去しています。


心甫宗得」。
初代藩主木下延俊の墓。
家定の三男として生まれ、
父や兄弟らと秀吉に仕えていますが、
高台院に最も愛されたとされます。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、
細川忠興に従って福知山城攻撃に参加。
この功績で豊後に3万石で加増転封となり、
日出藩を立藩しました。
大坂の陣島原の乱にも出陣しており、
江戸城大坂城の普請も行い、
後水尾天皇二条行幸にも参列。
40年の治世の後に江戸で死去し、
泉岳寺に葬られていますが、
この松屋寺にも分骨されています。


加賀の方」。
初代延俊の正室加賀の方の墓。
細川幽斎で細川忠興の妹だった為、
忠興は妹婿である延俊を支援しており、
日出城の築城に手を貸しています。


徳岩宗高」。
2代藩主木下俊治の墓。
初代延俊の三男として生まれ、
島原の乱に父と共に出陣しています。
父の死去に伴い家督を相続し、
木下延由に5000石を分与しており、
※交代寄合木下家として続く。
日出藩は2万5000石となりました。
19年の治世で死去。
参勤交代途中での急死という。

つづく。
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