大分県日出町 松屋寺(日出藩主木下家墓所)

日出藩主木下家の菩提寺は「康徳山松屋寺」。


松屋寺山門」。
元々は西明寺という天台宗の寺院だった寺を、
初代藩主木下延俊が禅宗に改め、
祖母朝日の方の法名ちなんで「康徳山松屋寺」と改めます。
※朝日の方の法名は、康徳寺殿松屋妙貞大姉。


松屋寺本堂大蘇鉄」。
当時の本堂は火災で焼失している為、
現在の本堂は大正期に再建されたもの。
本堂前の大蘇鉄は、日本一の大蘇鉄と呼ばれています。
隣の秘寶殿には、加藤清正が狩ったとされる虎の頭蓋骨や、
天目茶碗絹本著色仏涅槃図などの宝物が、
展示されているようですが、時間の関係で観ていません。
本堂の裏には、雪舟庭園もあるようです。

で、本命の木下家墓所。

木下家墓所」。
意外と狭い墓所ですが、きちんと手入れされているようで、
とてもきれいな墓所でした。
ほどよい大きさの五輪塔が美しい。
ここに13代、16代以外の藩主及び正室、
殉死した家臣の墓があります。


家定公」の墓。
初代木下延俊の父木下家定の墓ですが、
本家は足守藩で家定はその初代。
これは延俊の父の分霊墓でしょう。
母の法名を寺号に付けてるところからも、
親思いの藩主だったのでしょう。


加賀の方」の墓。
初代木下延俊の正室で細川幽斎の娘。
つまり細川忠興の妹なのですが、
忠興は妹婿である延俊を支援して、
日出城の築城に手を貸しています。
この支援なくば3万石の日出藩が築城するのなんて、
相当の負担だったでしょう。加賀の方様々ですね。


木下主計頭豊臣俊方墓」。
14代木下俊方の墓。
隠居した13代木下俊敦の跡を継ぎますが、
生まれつき病弱の為、俊敦が藩政を仕切っています。
嘉永7年に死去。
墓石に「豊臣」と入っていますが、
幕府から何か言われなかったんでしょうか?
※追記 日出藩木下家と足守藩木下家は、
幕府より豊臣姓を名乗ることが許されていたようです。



木下飛騨守豊臣俊程墓」。
15代木下俊程の墓。
彼が幕末期の藩主。
藩校到道館を創設して学問を奨励し、
軍政、財政の改革にも着手していますが、
これはひとつ上の兄毛利元純の影響?
彼の墓石にも「豊臣」の文字があります。


豊臣子爵木下家之墓(納骨堂)」。
明治以降の納骨堂と書かれていますが、
この墓所にない13・16代の藩主の骨も、
ここに入っているのでしょうか?

さて、松屋寺の墓地ですが、
この木下家墓所以外にも立派な墓所が沢山。
たぶん木下諸流、家老家、重臣家なのでしょう。
この松屋寺は、藩主だけでなく多くの藩士が、
菩提寺としていたのでしょうね。

そのひとつとして帆足萬里の墓もありました。
帆足の墓所については次回。

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