①/②/③
日出藩の藩主家木下家の歴代墓所は、
曹洞宗の康徳山松屋寺。
「松屋寺山門」。
元々は西明寺という天台宗だった寺を、
初代藩主木下延俊が曹洞宗に改め、
祖母朝日の方の法名にちなみ、
康徳山松屋寺と改めます。
※朝日の方の法名は康徳寺殿松屋妙貞大姉。
「本堂と大蘇鉄」。
現在の本堂は大正期に再建されたもの。
大蘇鉄は日本一の大蘇鉄と呼ばれています。
秘寶殿には加藤清正が狩った虎の頭蓋骨や、
天目茶碗、絹本著色仏涅槃図等が、
展示されているようですが、
残念ながら時間の関係で観ていません。
本堂の裏には雪舟庭園もあるようです。
木下家の墓所へ。
「木下家墓所」。
敷地は広くはありませんが、
きちんと手入れがされているようで、
とても綺麗な墓所でした。
程よい大きさの五輪塔が美しい。
ここに13、16代以外の藩主及び正室、
殉死した家臣の墓があります。
「茂叔淨英」。
初代藩主木下延俊の父木下家定の墓。
家定は足守藩の初代藩主で、
豊臣秀吉の正室高台院(おね)の実兄。
義弟秀吉に主従して木下姓を名乗り、
姫路城を与えられました。
子のない妹夫婦とは違い子沢山で、
家督を継いだ次男木下利房の他に、
日出藩の初代で三男の延俊、
小早川家を継いだ五男小早川秀秋など、
諸子含み八男も設けています。
関ヶ原の戦いでは中立を保ち、
足守に転封となっていますが、
次男の利房に家督を譲って出家。
足守に入る事無く京都で死去しています。
「心甫宗得」。
初代藩主木下延俊の墓。
家定の三男として生まれ、
父や兄弟らと秀吉に仕えていますが、
高台院に最も愛されたとされます。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、
細川忠興に従って福知山城攻撃に参加。
この功績で豊後に3万石で加増転封となり、
日出藩を立藩しました。
大坂の陣や島原の乱にも出陣しており、
江戸城や大坂城の普請も行い、
後水尾天皇の二条行幸にも参列。
40年の治世の後に江戸で死去し、
泉岳寺に葬られていますが、
この松屋寺にも分骨されています。
「加賀の方」。
初代延俊の正室加賀の方の墓。
細川幽斎で細川忠興の妹だった為、
忠興は妹婿である延俊を支援しており、
日出城の築城に手を貸しています。
「徳岩宗高」。
2代藩主木下俊治の墓。
初代延俊の三男として生まれ、
島原の乱に父と共に出陣しています。
父の死去に伴い家督を相続し、
弟木下延由に5000石を分与しており、
※交代寄合木下家として続く。
日出藩は2万5000石となりました。
19年の治世で死去。
参勤交代途中での急死という。
つづく。
①/②/③
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