①/②
つづき。
同じく資料が少なく写真と少々の逸話のみ。
「卽心顯宗」。
5代当主木下俊恵の墓。
安永10年(1781)、死去。
「温恭義俊」。
6代当主木下俊昌の墓。
安永8年(1779)、死去。
5代までの当主の遺骸は泉岳寺に葬られ、
長流寺の墓は遺髪墓又は拝墓でしたが、
俊昌はこの墓が本墓です。
※[泉岳寺に葬られ]と書いていますが、
その墓地は非公開なので未確認。
現存しているのかもわかりません。
「俊慧明安」。
7代当主木下俊直の墓。
菰野藩6代藩主土方雄端の三男。
後に次男が菰野藩9代藩主となっています。
※菰野藩6代藩主土方義苗。
こちらも本墓。
寛政3年(1791)に死去しました。
「豊山淨錦」。
8代当主木下俊隆の墓。
6代俊昌の子で7代俊直の弟。
俊直に実子がいなかった為に、
養子となって12歳で家督を相続。
本墓は泉岳寺とのこと。
「寂岩俊照」。
9代当主木下俊芳の墓。
久留米藩8代藩主有馬頼貴の十男で、
8代俊隆の養子となって家督を相続。
文政元年(1818)に26歳で死去しました。
本墓です。
「笠邦太心」。
10代当主木下俊国の墓。
菰野藩9代土方義苗の次男で、
9代俊芳の養子となって家督を相続。
立石陣屋内に郷校無逸館を創設し、
後藤八衛を文学教授にしたとのこと。
また治水事業として小池に土手を造り、
西端池(新池)を造営して貯水量を拡大させ、
旱魃の憂いを無くしています。
この墓も本墓。
11代木下俊清、12代木下敏明の墓所は、
山田墓地という場所に神葬されており、
この長流寺にはありません。
その山田墓地と思われる墓地にも、
足を運んで探してみたのですが、
11代12代の墓は見当たりませんでした。
何れ立石には再訪問が必要でしょう。
①/②
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日出藩木下家の歴代墓所。
・大分県杵築市 立石宿跡
城下にあった日向街道の宿場。
