三浦梅園は江戸時代中期の学者で、
帆足万里や広瀬淡窓と並び、
[豊後三賢人]と称される人物です。
上記2人は江戸後期の人物で、
幕末初期には生存していましたが、
梅園は寛政元年(1789)に死去しており、
幕末の人物ではないのですが、
豊後三賢人のコンプリートの為に、
国東半島の中央付近まで行ってみました。
「三浦梅園資料館」。
三浦梅園関連の資料を常設展示し、
年に一度特別展を開催しする資料館。
梅園の描いたメルカトル図法の世界地図や、
同じく南天図及び北天図(星図)も展示。
「三浦梅園旧宅」。
現存する梅園の旧宅。
訪問時は茅葺屋根の葺き替え中でした。
本来は内部の見学出来るようです。
「三浦梅園私塾跡」。
旧宅の南側にある梅園塾跡。
約200人が入塾したとされ、
梅園の学徳の慕って伊予、阿波、浪速等、
遠方から生徒が集まって来たという。
婦女や商人は門内に入れなかったようで、
日没後は門が閉ざされたとのこと。
口論や喧嘩の禁止、上下関係の徹底等、
細かな規律があったようです。
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・大分県日田市 廣瀬淡窓墓所
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