普門寺は山口市白石にある臨済宗寺院。
大内家8代大内弘幸の弟大内弘直が、
延元元年(1336)に創建した寺でした。
16代大内義隆が後奈良天皇に奏請し、
勅願寺にもなりましたが、
大寧寺の変の戦渦で堂宇は全て焼失。… 続きを読む
山口県山口市 普門寺観音堂
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普門寺は山口市白石にある臨済宗寺院。
大内家8代大内弘幸の弟大内弘直が、
延元元年(1336)に創建した寺でした。
16代大内義隆が後奈良天皇に奏請し、
勅願寺にもなりましたが、
大寧寺の変の戦渦で堂宇は全て焼失。… 続きを読む
一の坂川交通交流広場の敷地に、
「山口大学創基の地」碑があります。
「山口大学創基の地」碑。
山口大学は私塾山口講堂を淵源とし、
昭和24年に旧制山口高等学校、
山口経済専門学校、山口師範学校、
山口青年師範学校… 続きを読む
白井小助は寄組浦家家臣白井弥蔵の長男。
江戸藩邸で吉田松陰と起居を共にし、
それ以降親しく交友していたとされます。
松陰が伝馬町獄舎に入獄された際に、
金銭の差し入れを行っていた事で知られ、
後に松陰門下らとも親交しており、
英国公使館焼討事件にも参加。
高杉晋作… 続きを読む
美祢市伊佐町の小さな公園がある場所に、
幕末期に[友善塾]という郷校がありました。
吉田宰判の代官となっていた玉木文之進が、
※吉田松陰の叔父。
伊佐周辺に子弟が学べる機関が無かった為、
在住藩士らに郷校設立を勧奨。
これに応えた三戸久五郎、高木謙蔵、… 続きを読む
幕末期の儒学の大家安井息軒の旧宅が、
宮崎市清武町に現存しています。
安井家は飫肥藩伊東家に仕えた儒臣で、
息軒は安井滄洲の次男に生まれました。
幼少期に天然痘の疱瘡で片目が潰れ、
醜い容姿となっていましたが、
学問に勤しみ大坂や江戸… 続きを読む
毛利空桑は熊本藩の幕末期の儒者で、
熊本藩領鶴崎で私塾[知来館]を開設し、
文武両道と尊皇論を唱えました。
その門弟は890人以上であったとされ、
遠方からもその意見を問う人が絶えず、
吉田松陰や斉藤監物も空桑を訪ねています。
「… 続きを読む
長崎聖堂は本草学者の向井元升が、
正保4年(1647)に創建した学舎と孔子廟で、
始め立山書院と称したこの学舎では、
元升自らが儒学を講じていたという。
その後に元升が京都に行ってしまい、
また寛文3年(1663)の大火に遭った事で、
一時衰退してしまいますが、… 続きを読む