幕末期の儒学の大家安井息軒の旧宅が、
宮崎市清武町に現存しています。
「安井息軒旧宅」。
安井家は飫肥藩伊東家に仕えた儒臣で、
息軒は安井滄洲の次男に生まれました。
幼少期に天然痘の疱瘡で片目が潰れ、
醜い容姿となっていましたが、
学問に勤しみ大坂や江戸に遊学。
昌平坂学問所に入学して学び、
古賀侗庵や松崎慊堂等を師事しています。
藩に召喚されて郷校明教堂及び、
藩校振徳堂で藩士子弟の教育を担当し、
藩政改革にも関与しますが、
藩内保守派の妨害に遭って頓挫。
江戸に出て私塾三計塾を開き、
更に昌平坂学問所の儒官にも任じられ、
塩谷宕陰、芳野金陵らと共に、
[文久三博士]と称されました。
幕府の崩壊後は江戸藩邸で子弟に教え、
明治9年に死去しています。
この旧宅で息軒や父滄洲が子弟に学問を教え、
向かいに郷校明教堂が建てられたとのこと。
この清武町周辺には安井家墓所や、
藩主家伊東家の僑墓、息軒廟等、
実は色々とあったようですが、
時間とリサーチの不足で訪問出来ず。
いつかまた再訪致します。
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・東京都文京区 昌平坂学問所跡
幕府直轄の学問機関昌平坂学問所の跡地。