道の駅[萩往還]の北西側駐車場近くに、
長州藩の大屋刑場がありました。
ご多分に漏れず長州藩の刑場も、
街道脇に設置されていたようで、
旅人に刑の執行を見せる事により、
犯罪を抑止していたようです。
「大屋刑場跡(女体解剖地跡)」。
萩城下から離れた萩往還の竹林。
この場所に刑場が設置されました。
ここは庶民の処刑が行われていた場所で、
武士階級の処刑は野山獄内だったとか。
庶民の死刑は斬首や磔刑でしたが、
武士階級は切腹が基本ですので、
余程でないと斬首にはならず、
斬首自体が少なかったと思われます。
刑場跡には首切地蔵がありますが、
余り古いようには見えませんでした。
「栗山孝庵(獻臣)女刑屍体腑分之跡」碑。
日本初の腑分は京都で漢方医山脇東洋らが、
宝暦4年(1754)に行ったもので、
その4年後の宝暦8年(1758)に、
2番目の腑分を行ったのが栗山孝庵でした。
その際は男性の腑分が行われますが、
翌年には女性の腑分行っており、
これが日本初の女性腑分となります。
栗山は山脇の門弟だった人物で、
腑分で得た情報を師にも報告。
後に典医に昇進して参勤にも随行し、
平賀源内や杉田玄白らと親交しました。
腑分された女性は17歳の於美濃とされ、
百姓久衛門の妻でしたが、
夫の暴力に耐えかねてこれを殺し、
その罪で磔刑となる予定でしたが、
栗山の嘆願で斬首に変更。
体を傷付けないようにしています。
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