小倉藩で裁かれて極刑となった受刑者は、
城下の八百屋町牢屋より出獄し、
板櫃川に架かる地獄橋を渡り、
※現在の極楽橋。
干上村を過ぎて地蔵ヶ鼻に連行されます。
そこには藩の仕置場があったようで、
四方には矢來が結ばれて、
検死役の中目付や町方同心等が見守る中、
罪人達の処刑が行われました。
地獄ヶ鼻という岬は埋め立てられており、
全く地形は変わっていますが、
その跡地である平松共同墓地には、
処刑者達の慰霊塔と首切り地蔵尊が残され、
そこが処刑場であった事を伝えています。
墓地は東西に分かれており、
その西端に慰霊塔が建っています。
「日明濱處刑諸霊塔」。
処刑場のあった場所にある慰霊塔。
ここで斬首が行われていたようですが、
勿論面影はありません。
この辺りは昔は干上と呼ばれていたようで、
干上がるなどと連想される事から、
江戸末期より日明と改称されたようです。
この数丁西側に火刑場があったという。
「南無妙法蓮華経 法界萬霊」。
火刑場の片隅に建てられていた供養塔。
刑場が廃止された後に移されたようです。
東側の墓地へ。
「首切り地蔵尊」。
地獄橋を渡ってきた受刑者を慰めた地蔵尊。
処刑場の方を向いているようです。
ちなみにここは唐津街道沿いにあり、
旅人達も刑の執行を目撃していたという。
■唐津街道の宿場町
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有名な首切り地蔵尊。