下関市長府 松小田刑場の首切地蔵

日本も昔から法治国家なわけで、
があるということはもある。
刑があるという事は刑場も必然的。
江戸時代幕藩体制においては、
各藩の藩法に乗っ取り刑罰が行われ、
それぞれの藩ごとに刑場がありました。

仏教の普及していた日本では、
刑場に地蔵菩薩が設置される事が多く、
刑場の露と消えた刑死者達の、
あの世への道を示す役目を持っています。

有名な小塚原刑場首切地蔵は巨大ですが、
全国の刑場の首切地蔵は、
普通のお地蔵さんと変わらないものが殆ど。

長府藩の刑場は松小田に置かれ、
有名な浮石義民の処刑が行われています。
※当時の筆頭家老椙杜家の所領浮石村で、
 藩の圧政により困窮した農民らが、

 幕府巡見使に直訴した事件。
 訴えは聞き遂げられましたが、
 直接直訴した5人は打首。

松小田は現在も使用される地名ですが、
どこが刑場跡なのかわかりません。
ただ松小田にある福昌寺という寺に、
刑場にあった首切地蔵が移されました。
福昌寺は刑場の近くにあったとされ、
刑場はその周辺だったようです。


本堂」。
寺の由緒はわかりませんが、
一文字三ツ星」を使っています。


瓦を葺き替えたようで、
古い鬼瓦が置かれていました。


首切地蔵」。
松小田刑場にあったとされる首切地蔵
廃藩置県で松小田刑場が廃止された為、
この首切地蔵を福昌寺が預かったようです。

遺体は道玄堂山に埋められましたが、
※記事はこちら
江戸小塚原刑場では刑死者の遺体は捨置で、
墓を建てる事が許されなかったという話。
※遺体の捨置は疫病の原因となりますので、
 本当に捨て置かれたとは考えにくい。
 たぶん集めて埋められたのでしょう。

道玄堂山には小さいながらも墓があります。
法は幕府と諸藩でまちまちなんでしょうね。

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東京都荒川区 延命寺/首切り地蔵
 有名な首切り地蔵。

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