福井県敦賀市 天狗党の幕府による処断(天狗党の終焉③)

//③/

相良藩主田沼意尊は、幕軍総督として天狗党と戦い、
何度も天狗党に煮湯を飲まされており、
また天狗党の犯した関東の惨状も見ています。

田沼は呑気に憂国の士だと厚遇してる事に激怒し、
天狗党が引き渡されると、直ちに鰊倉に押し込めて、
衣服を剥いで手枷足枷をはめ、
一日あたり握飯一つと湯水一杯のみを与えます。

狭い鰊倉に大人数が押し込められて、
魚の腐臭と汚物の臭いが混じる中、
北陸の冬の寒さも相まって悲惨な状態でした。

松原神社」。
天狗党の武田耕雲斎ら411柱を祀る神社。
毎年10月10日には例祭が執り行われ、
処刑された天狗党の霊をしのんでいます。


水戸烈士記念館」。
天狗党は16棟の鰊倉に押し込められており、
この倉はその中のひとつ。
昭和29年の築港工事で取り壊されることとなり、
その1棟がここに移築され、
もう1棟は水戸に移築されたようです。
天狗党の乱後も鰊倉が使われていた事が驚き。


永建寺」。
田沼は永建寺を本陣とし、境内に仮白洲を設け、
天狗党の吟味が執り行われています。
この間にも加賀藩助命嘆願があったようですが、
田沼の吟味に影響はありませんでした。


浪人騒動決断白洲の址」碑。
境内にひっそりとある石碑。
吟味は形式的なもので、各1回四日間行われ、
353名が斬首遠島157名、追放185名、
水戸渡し130名と決定されました。


来迎寺」。
死罪が決定された353名は、
この来迎寺で斬首されています。
元々来迎寺境内には、町人用の刑場があったようで、
武士としてではなく浮浪之徒の扱いでした。

斬首役は、福井藩彦根藩などに命じられ、
彦根藩士は、率先して大いにこれを務め、
桜田門外の変で殺された主君の恨みを晴らし、
福井藩士は、天狗党に同情して役目を辞退し、
さっさと国元へ帰っていったという。

ちなみに小浜藩の支藩敦賀藩の家老殺害事件では、
廃藩置県で吟味がうやむやになってしまい、
自裁を強く求める下手人の敦賀藩士4人が、
この来迎寺の境内で自刃して果てています。


永巌寺」。
凄惨な話の中、救いのある話としては、
この永巌寺住職が天狗党の少年を仏門に入れると助け、
少年15人はがりを引き取りました。
彼らは後に水戸へ戻って行ったとされています。

//③/

■関連記事■
福井県敦賀市 武田耕雲斎本陣跡(天狗党の終焉①)
 討伐軍に囲まれた天狗党は、ここで軍議を開いて武装解除に決します。
福井県敦賀市 天狗党幽居の三寺(天狗党の終焉②)
 投降した天狗党は3つの寺に分けられて収容されました。
福井県敦賀市 武田耕雲斎等ゆかりの地(天狗党の終焉④)
 武田耕雲斎ら天狗党の墓所。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。