福井県敦賀市 武田耕雲斎本陣跡(天狗党の終焉①)

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元治元年。尊皇攘夷を掲げた藤田小四郎らは、
筑波山で挙兵して横浜港即時鎖港を要求しますが、
事態はその志とは別に内乱へと発展します。

天狗党諸生党幕府軍大発勢と入り乱れ、
天狗党が大発勢と合流して、諸生党や幕府軍と戦い、
那珂湊の戦いで敗北した為に、
武田耕雲斎を首領に置いて体制を整え、
一橋慶喜を頼って尊皇攘夷の志を訴えようと、
中山道を通って京を目指しました。

諸藩追討軍と戦いながら、風雪厳しい道を進み、
40日約1000kmの行軍の末に、
敦賀新保村に到着しています。


武田耕雲斎本陣跡」。
新保村の問屋塚田家の書院の一部で、
敦賀にやってきた天狗党が新保村で宿営した際に、
武田耕雲斎が本陣としたところ。


書院建屋。
耕雲斎が加賀藩との交渉を行った場所です。

天狗党追討軍は、新保村周辺に集結。
追討軍に囲まれた事を知った天狗党は、
加賀藩に嘆願書を提出し、
一橋慶喜への取次ぎを乞いますが、
その返書で追捕総督が慶喜だと知ります。
降伏しなければ総攻撃を開始するとの返書に、
天狗党幹部らは軍議を開き、今後の方針を検討。
反対意見も数多く出たものの降伏と決定され、
加賀藩に投降して天狗党は武装解除し投降しました。

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