新保宿で加賀藩に投降した天狗党。
投降者は823名。
首領の武田耕雲斎は抗戦派を抑え、
潔く投降するように諭しました。
加賀藩は投降者823名を三寺に収容。
辛苦の行軍と尊攘の志に礼を尽くし、
彼らを憂国の志士として厚遇。
加賀藩は三寺に天狗党の厚遇を指示し、
投降者は3つに分けられて収容されます。
「長遠寺」。
天狗党が収容された三寺のうちのひとつで、
山形半六ら90人が収容されています。
「本妙寺」。
こちらも収容された三寺のひとつで、
武田魁介ら346人が収容されました。
「本勝寺」。
天狗党が収容された三寺のひとつで、
武田耕雲斎、藤田小四郎ら387人を収容。
「水戸烈士幽居之寺」碑。
他の二寺には碑や説明板はありませんが、
ここには碑が建っています。
加賀藩は収容された天狗党に礼を尽くし、
正月には彼らに酒を振舞い、
幕府軍を率いる一橋慶喜に対しては、
寛大な処分を要請する書状も出しました。
しかし、天狗党の取り調べの担当には、
水戸で天狗党と戦った田沼意尊が就任し、
天狗党は厚遇する加賀藩の管理から、
福井藩、彦根藩、小浜藩に管理が移行。
田沼が到着して彼らが引き渡されると、
彼らの状況は一変してしまいます。
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