山陽小野田市西高泊に勘場屋敷があります。
高泊開作事業の際に建てられた役宅で、
船木代官楊井三之允が起居したという。
勘場は業務を行う場所ですので、
正確には勘場ではなく代官役宅なのですが、
役宅で業務も行っていたのでしょうし、
他に勘場があった形跡はない。
なので勘場兼役宅が正しいのかもです。
「勘場屋敷… 続きを読む
「長州藩」タグアーカイブ
山口県山陽小野田市 高泊開作五挺唐樋
高泊開作は高泊湾を干拓したもので、
寛文8年(1668)の汐止めによって完成。
400町歩の規模をもつ大規模の開作(干拓)で、
長州藩当職毛利就方(阿川毛利3代)が発起し、
船木代官楊井春勝が工事を監督しました。
※享保19年(1734)時の高泊開作は、
4449石余もあったという。
「高泊開作五挺唐樋」。… 続きを読む
山口県宇部市 毛利謙八墓所
小学校に石碑がある事は珍しい事ではない。
陣屋や城の跡地が少学校となった例もあり、
陣屋跡碑や城跡碑があったりする。
また地元の偉人の顕彰碑も建っているので、
何度も学校を訪問したりしています。
しかしながらお墓が学校にあるというのは、
非常に珍しいのではないでしょうか?… 続きを読む
山口県宇部市 天龍寺/国司家墓所(再訪)
宇部市万倉にある天龍寺に再訪。
このお寺に国司親相の墓がありますが、
既に7年前に訪問済み。
山口県宇部市 天龍寺/国司家墓所
当時は幕末の当主のみを記事としており、
歴代当主には触れませんでしたが、
現在は歴代当主も記事としていますので、
今回再び訪問する事としました。
「本堂」。
七年前と何ら変わらぬ本堂… 続きを読む
山口県山口市 阿知須浦
北前船の寄港地であった阿知須浦は、
漁業と廻船業で栄えていたようです。
JR阿知須駅東側周辺。
阿知須浦は元々井関村に属していましたが、
農業が主な産業であった井関村から独立し、
井関川の南側に港町として発展しました。
この浦は右田毛利家の領地だったようで、… 続きを読む