一の坂川交通交流広場の敷地に、
「山口大学創基の地」碑があります。
「山口大学創基の地」碑。
山口大学は私塾山口講堂を淵源とし、
昭和24年に旧制山口高等学校、
山口経済専門学校、山口師範学校、
山口青年師範学校、宇部工業専門学校、
山口獣医畜産専門学校を統合して、
新制大学として設立した国立大学。
山口講堂は文化13年(1816)に、
儒学者上田鳳陽が設立した私塾で、
当時の山口には学問所が無く、
在郷藩士らに学問を教える事に貢献し、
藩主にも大いに認められました。
碑に描かれた山口講堂の地差図。
左上は一の坂川で橋は御茶屋橋。
弘化2年(1845)に山口講堂は、
山口講習堂に改称。
文武諸芸稽古場の総合学舎に発展し、
山口近郊に在住する諸士の子弟は、
山口講習堂で学ぶのを常とし、
成績優秀な者は藩校明倫館へ進学し、
藩の人材育成の要衝を担いました。
その後に山口講習堂は藩直轄となり、
就学人員が増加した為に、
万延2年に亀山東麓に移転拡張。
文久3年には山口明倫館に改称し、
萩明倫館と共に最高学府となりました。
維新後の明治3年になると、
明治政府の方針で山口中学校に改称。
後に山口高等中学校、山口高等学校、
そして山口大学へと至ります。
■関連記事■
・山口県山口市 乗福寺
山口講堂創始者上田鳳陽の墓所。
・山口県山口市 周防明倫館兵学寮跡
山口明倫館の兵学寮跡。
・山口県山口市 御茶屋跡/山口宰判勘場跡
迎賓館及び藩主休憩所であった御茶屋跡。