藩主の領内巡視などに使用された御茶屋は、
各地の街道沿いや温泉地に置かれ、
他藩や幕府使節の迎賓にも使用されました。
山口にも当然御茶屋は置かれています。
山口市中川原町周辺(山口御茶屋跡の場所)
御茶屋は亀山の東麓にありました。
「一の坂川」。
山口を本拠としていた大内氏は、
一の坂川を京の鴨川に見立てて、
その町割りを行ったとされています。
御茶屋はこの一の坂川沿いにありました。
「御茶屋跡(亀山公園ふれあい広場)」。
中河原御茶屋とも呼ばれました。
山口御茶屋のあった場所は、
亀山公園の一部のふれあい広場あたり。
跡碑などはないようです。
ふれあい広場前の橋は御茶屋橋。
遺構は全く残されていませんので、
こういう橋名が残っているのは、
とても嬉しいことです。
長州藩の藩庁である萩は、
広い領内を指揮するのに不便な為、
山口移鎮を計画しています。
建前上は藩主の毛利敬親が、
湯治を理由にこの山口御茶屋に滞在。
ここを政事堂として政治を行いました。
同時に山口屋形の建設を開始し、
その完成後は屋形に政事堂は移されて、
正式に山口政事堂となっています。
その後の御茶屋は政事堂と近かった為、
藩主が使用する事はありませんでした。
また敷地内には山口宰判勘場も設けられ、
細々とその業務を行っていたようですが、
藩主が御茶屋を利用した際には、
場所を明け渡して近くの町屋に移動し、
宰判の業務を行っていたという。
こういう状況であった為に、
山口移鎮で藩主が御茶屋に長期滞在すると、
宰判勘場は御客屋に移されています。
※御客屋跡は現山口地方裁判所。
■関連記事■
・山口県山口市 山口政事堂跡
萩より藩庁を移転して本拠とした城。
・下関市吉田 吉田宰判勘場跡/御茶屋跡
18あった 宰判勘場のひとつ。
・山口県長門市 先大津宰判勘場跡
18あった宰判勘場のひとつ。