明治3年に発生した奇兵隊脱隊騒動では、
藩の軍制改革に不満を持つ諸隊士達が、
山口藩議事館を包囲しましたが、
この騒動に対して木戸孝允は討伐軍を編成し、
武力を持って騒動を鎮圧しています。
騒動の指導的立場の諸隊士ら35名は、
捕らえられて処刑されていますが、
犠牲となった彼らを憐れんだ郷里の人々は、
彼らを[隊中様]と呼んで敬い、
その出身地の各地に墓が建てられました。
今回訪問したのはその中のひとつで、
[隊中様]と敬われる宮野政助の墓。
山口市宮野下周辺(隊中様の場所)
入口には案内板が設置されており、
ここから入るのだとはわかりますが、
それから道なき道なので少し迷いました。
説明し辛いですが山沿いの道ではなく、
上へ登る感じの道です。
小さな墓がちらほらある場所が目印。
昔からの地元の墓地のようです。
「宮埜政助義明霊」。
宮野政助は宮野の庄屋徳田亀太郎の弟で、
本名は徳田勘九郎といいました。
林十七五三と称し遊撃隊付属の狙撃隊に入隊。
後に宮野政助を名乗って各地を転戦しますが、
維新後に常備軍の選にもれ脱退騒動に参加し、
指導者一人として柊刑場で斬首されました。
反逆者として墓は建てられませんでしたが、
後に郷里のこの場所に追善の墓碑が建立され、
地元で[隊中様]と敬われています。
■関連記事■
・山口市 鋭武隊士今井六郎の墓
脱隊騒動の際に斬首された鋭武隊士の墓。
・山口県山口市 脱隊諸士招魂碑ほか
宮野が処刑された柊刑場の跡地
・防府市 勝坂砲台跡
脱退騒動の際の激戦地。