三田尻が幕府によって攻め落とされた場合、
萩往還を上って山口は目と鼻の先となります。
もちろん三田尻は軍港ですので、
何が何でも死守せねばならない拠点ですが、
それだけに狙われる可能性がありました。
そこで防府と山口の境に砲台を設置し、
防御の勝坂砲台が建設されます。
防府市下右田周辺(勝坂砲台跡の場所)
三田尻から山口に侵攻する為には、
右田ヶ岳と西目山の谷間を通らなければならず、
ここを死守すれば侵攻される事はありません。
国道262号線沿いに案内板がありますが、
この矢印の書き方では、
ここから斜め左に行くのかと思いますね。
でもこれはこの上だという意味のようで、
壁にも説明板が付けられています。
え?どれが砲台跡?と戸惑います。
この壁の向こうが砲台跡。
コンクリート壁の上の鉄網のむこうに、
確かに石垣が見えます。これが砲台跡。
少し北に行くと、
右田ヶ岳の登山道入口がありますので、
そこから砲台跡に行ってみます。
で、これが砲台跡の石垣。
ほとんど見えなくなった砲台跡ですが、
登山道の入口からすこしだけ見えます。
コンクリート壁が出来る前の砲台跡。
実際にはこのようになっていました。
台場は国道沿いにあるので、
安全の為に壁を設置したのでしょうけど、
せっかくの遺跡なのですから、
少しどうにかならなかったのでしょうか?
結局三田尻は攻められることも無く、
台場は使われることはありませんでしたが、
明治3年の奇兵隊脱隊騒動の際には、
ここが激戦地となっています。
なんとも皮肉な話ですね。
■関連記事■
・福井県坂井市 丸岡藩砲台跡
丸岡藩の設置した砲台跡。
・下関市中之町 亀山八幡宮
境内に大砲が設置されています。
・山口県山口市 脱隊諸士招魂碑ほか
奇兵隊脱隊騒動時の刑場跡。