明治3年に発生した奇兵隊脱隊騒動では、
藩の軍制改革に不満を持つ諸隊士達が、
山口藩議事館を包囲しましたが、
この騒動に対して木戸孝允は討伐軍を編成し、
武力を持って騒動を鎮圧しています。
騒動の指導的立場の諸隊士ら35名は、
捕らえられて処刑されていますが、
犠牲となった彼らを憐れんだ郷里の人々は、
彼らを[隊中様]と呼んで敬い、
その出身地の各地に墓が建てられました。
今回訪問したのはその中のひとつで、… 続きを読む
「脱隊騒動」タグアーカイブ
山口県防府市 大楽源太郎墓所
大道‐秋保間の県道25号線の側道に、
大楽源太郎の墓所への入り口があります。
「大楽源太郎先生墓所入口」。
これ行けるの?というような入口。
奥もけもの道のようになっていますが、
迷わずにたどり着けます。
少し行くと3つの墓石が現れました。
そのひとつが大楽源太郎の墓です。… 続きを読む
山口県防府市 西山塾跡
慶応2年。
大楽源太郎は大道の上り熊という場所に、
西山塾(西山書屋)という私塾を開設します。
高杉晋作の功山寺挙兵により、
長州は内訌戦に移行。
大楽も忠憤隊を組織して参戦しました。
この内訌戦の末に正義派政権が誕生し、… 続きを読む
山口県防府市 繁枝神社/大楽先生之碑
大楽源太郎の関連史跡を巡りましたが、
当日は残念ながら雨が降っていました。
大楽は神代直人の師だった事もあり、
狂信的な変骨攘夷親父のイメージでしたが、
吉田松陰より2歳下で、
桂小五郎より1歳上と意外と若い。
※松蔭より4歳下、桂より1歳下の説も。
久坂玄瑞ら松蔭門下や、
赤禰武人とも交友しており、
禁門の変や… 続きを読む
山口県山口市 柊刑場跡
中国自動車道山口ICを下りた北側に、
かつて柊刑場がありました。
その跡地に数基の石碑が設置されています。
「柊刑場跡」。
柊交差点東側の坂道を登ると広場があり、
そこに碑や説明板が並んでいます。
柊刑場は長州藩が山口に藩庁を移した際、
処刑場となった場所。
倉敷浅尾事件… 続きを読む
山口県防府市 勝坂砲台跡
三田尻が幕府によって攻め落とされた場合、
萩往還を上って山口は目と鼻の先となります。
もちろん三田尻は軍港ですので、
何が何でも死守せねばならない拠点ですが、
それだけに狙われる可能性がありました。
そこで防府と山口の境に砲台を設置し、
防御の勝坂砲台が建設されます。
防府市下右田周辺(勝坂砲台跡の場所)
三田尻から山口に侵攻する為には、
右田ヶ岳… 続きを読む
山口県山口市 鋭武隊士今井六郎の墓
小郡から椹野川対岸の元橋という場所に、
東津墓苑という墓地があります。
山の斜面に墓石が並ぶ墓地なのですが、
そこに鋭武隊士の墓がありました。
その墓の主は今井六郎といい、
元々は東津(椹野川の東側)の農民。
諸隊のひとつ鋭武隊に所属して、
戊辰戦争に従軍しています。
明治2年に諸隊が解散・再編されると、
職を失った諸隊士が反乱を起こし、
山口藩議事館… 続きを読む