大楽源太郎」タグアーカイブ

大分県大分市 毛利空桑旧宅

毛利空桑熊本藩の幕末期の儒者で、
熊本藩領鶴崎で私塾[知来館]を開設し、
文武両道尊皇論を唱えました。
その門弟は890人以上であったとされ、
遠方からもその意見を問う人が絶えず、
吉田松陰斉藤監物も空桑を訪ねています。


「… 続きを読む

山口県防府市 大楽源太郎墓所

大道秋保間の県道25号線の側道に、
大楽源太郎の墓所への入り口があります。


大楽源太郎先生墓所入口」。
これ行けるの?というような入口。
奥もけもの道のようになっていますが、
迷わずにたどり着けます。


少し行くと3つの墓石が現れました。
そのひとつが大楽源太郎の墓です。… 続きを読む

山口県防府市 西山塾跡

慶応2年。
大楽源太郎大道上り熊という場所に、
西山塾(西山書屋)という私塾を開設します。
高杉晋作功山寺挙兵により、
長州は内訌戦に移行。
大楽も忠憤隊を組織して参戦しました。
この内訌戦の末に正義派政権が誕生し、… 続きを読む

山口県防府市 繁枝神社/大楽先生之碑

大楽源太郎の関連史跡を巡りましたが、
当日は残念ながらが降っていました。
大楽は神代直人の師だった事もあり、
狂信的な変骨攘夷親父のイメージでしたが、
吉田松陰より2歳下で、
桂小五郎より1歳上と意外と若い。
※松蔭より4歳下、桂より1歳下の説も。
久坂玄瑞ら松蔭門下や、
赤禰武人とも交友しており、
禁門の変や… 続きを読む

福岡県久留米市 遍照院/耿介四士之墓

高山彦九郎の墓がある遍照院に、
大楽源太郎の墓もあります。


耿介四士之墓」と、
四士を殺害した3人の墓
奇兵隊脱退騒動で大楽源太郎ら4名は、
新政府に非協力的な久留米藩を頼ります。
久留米藩は大楽らを歓迎していましたが、
新政府からの圧力を受けて、
挙句に大楽らの誅殺してしまいました。
この耿介四士之墓は、… 続きを読む