高山彦九郎の墓がある遍照院に、
大楽源太郎の墓もあります。
「耿介四士之墓」と、
四士を殺害した3人の墓。
奇兵隊脱退騒動で大楽源太郎ら4名は、
新政府に非協力的な久留米藩を頼ります。
久留米藩は大楽らを歓迎していましたが、
新政府からの圧力を受けて、
挙句に大楽らの誅殺してしまいました。
この耿介四士之墓は、
直接殺害に関与した3名らが建立したもの。
殺された者の墓と殺した者の墓が、
隣同士というのも珍しい。
大楽の誅殺が止むを得ないもので、
志は同じであったということでしょうか?
「辛未遭難志士之墓(右)」、
「志士西道俊墓(左)」。
辛未~は大楽に呼応した藩士の5名の墓。
久留米藩は大政奉還後、
尊皇攘夷派が実権を握っており、
開国路線の新政府に反発を持っていたので、
不平士族が多かったようです。
西道俊は彦九郎を訪ねて来た同志で、
彦九郎の死を知って墓前にて殉死した人物。
[ひょうたん墓]と呼ばれています。
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