高山彦九郎は江戸後期の勤皇思想家。
京都三条大橋東詰の土下座像が有名です。
※正確には皇居望拝。
高山は孝明天皇の2代前の光格天皇の時代、
尊号一件と呼ばれる事件において、
朝廷と幕府が対立した際に、
九州を拠点に同志を募りますが、
久留米で謎の自刃を遂げます。
その彦九郎の眠る墓が遍照院にあります。
「光明山遍照院」。
彦九郎は幕府から執拗な監視を受けており、
その圧力から死に至ったとも、
世を憂いての自刃ともされます。
最後期には殆ど狂気に近かったという。
「一音和尚の墓(中央)」。
一音和尚は遍照院の住職で、
彦九郎を介錯した高僧とのこと。
「松陰以白居士」。
高山彦九郎の墓。
墓石はそれ程大きいものではありませんが、
前方に立派な拝殿があります。
久坂玄瑞は文久2年2月にここを訪れ、
墓石をスケッチしています。
群馬県太田市細谷町に遺髪墓があり、
吉田松陰や高杉晋作、久坂玄瑞、
中岡慎太郎等が訪ねています。
遍照院から高山彦九郎終焉の地へ。
現地案内板より。
彦九郎は同志の森嘉膳宅に身を寄せ、
そこで自害しました。
「高山彦九郎先生終焉之地」。
儒医森嘉膳宅跡地で現在は饅頭塚や石碑、
説明板などが設置されています。
彦九郎の死後に思想や行動などが伝えられ、
幕末の志士達に影響を与えたという。
吉田松陰は会沢正志斎の[高山彦九郎伝]で、
高山彦九郎の存在を知ります。
自分の号を彦九郎からちなんだことも、
その影響力のほどが伺えますね。
■関連記事■
・福岡県久留米市 山川招魂社
高山彦九郎が主祭神。
・京都府京都市 三条大橋
三条大橋東詰に彦九郎の像があります。