三条大橋は鴨川に架かる三条通りの橋で、
東海道の終点となっていました。
「三条大橋」。
最初に架けられたのは室町時代とされ、
後に豊臣秀吉によって石柱の橋に改修。
江戸時代には公儀橋となったようで、
元禄期に架け替えられており、
明治以降も数度の架け替えが行われ、
現在は鋼単純H型橋となっています。
「擬宝珠の刀傷」。
西から二つ目の擬宝珠にある刀傷。
※北南共に西から二つ目にあります。
池田屋事件の際に付けられたという。
「三条河原」。
橋の上から河原を望む。
散歩する人や川沿いに座るカップル。
のどかな雰囲気の場所ではありますが、
かつては処刑や晒し首が行われた場所。
往来の多い三条大橋から見えるように、
ここが選ばれたのでしょう。
石川五右衛門の釜茹、豊臣秀次一族の処刑、
石田三成らの梟首が行われた他、
幕末でも天誅の犠牲者が晒されています。
目明し文吉の串刺し遺体、
佐久間象山の首、足利三代木像の首等の他、
※足利三代は橋の西詰とも。
近藤勇の首も晒されており、
村山たかは生きたまま晒されました。
橋の東詰には高山彦九郎の像があります。
「高山彦九郎正之」像。
地元では[土下座]と呼ばれており、
有名な待ち合わせ場所となっています。
渋谷のハチ公みたいなものでしょうか?
昭和3年に東詰に建立されましたが、
昭和19年に金属供出で失われ、
現在の像は昭和36年に再建されたもの。
高山彦九郎は上野の農民の次男に生まれ、
太平記を読んで勤皇の志を持ち、
各地を遊歴して勤皇論を説いた人物。
尊号一件と呼ばれる事件の際に、
九州を拠点に同志を募りますが、
久留米で謎の自刃を遂げます。
彦九郎は三条に足を運ぶ毎に、
御所の方角に膝をついて拝礼したとされ、
その逸話からこのような像になったという。
「高山彦九郎先生皇居望拝之址」。
昭和19年の銅像撤去にあたり、
その遺跡を示すために建立された碑。
古来より歴史上の偉人が往来し、
処刑場の特等席でもあった三条大橋。
現在も絶え間なく人々が往来しています。
■東海道の宿場町
■中山道の宿場町
■関連記事■
・東京都中央区 日本橋
東海道の起点。
・滋賀県大津市 大津宿跡
東海道の53番目の宿場町。
・京都府京都市 高瀬川石標めぐり
鴨川の西にある高瀬川周辺の石標群。
・福岡県久留米市 遍照院/高山彦九郎墓所
久留米にある高山彦九郎の墓所。