宮崎県日南市 油津湊

油津湊は古来よりあった港で、
古くは油之津と呼ばれていたという。
百済の王が漂着した場所とも伝えられ、
大陸との貿易が行われていたようで、
倭寇の拠点にもなっていました。
江戸時代には飫肥藩領となっており、
特産品である飫肥杉の積出港となって、
大きな繫栄を遂げていたようです。


油津湊」。
マグロ延縄漁が盛んな重要港湾。
木材チップの荷揚港でもあり、
それが市内の工場で紙製品へと加工され、
この港から積出されているようです。


堀川」。
飫肥杉を運ぶ為に飫肥藩が掘削した運河。
堀川沿いの通路はかさ上げされている為、
2階が玄関となった特殊な家屋が軒を連ね、
独特な景観が広がっていました。
現在も建物は殆ど更新されていますが、
2階が玄関という形状は変わらない模様。


堀川橋」。
堀川の掘削で分断された町を繋ぎ、
生活の通路となっている橋で、
西側の五平津神社の参道橋でもあります。
江戸期には板橋であったようで、
明治36年に石橋にかけ替えられたもの。
船の航行に支障が無いように、
高い位置に架けられているのが特徴。


油津赤レンガ館」。
中町通りにある赤煉瓦の建物。
大正10年に河野宗泰家が主屋を増築し、
これと同時に倉庫として建てられて、
油津のシンボル的建物となっています。
後に競売にかけられそうになると、
地元有志ら31人が100万円ずつ出資し、
赤レンガ倉庫を買い取って保存。
後に市に寄付されて修復されました。


旧河野宗泰家主屋」。
赤レンガ倉庫を建てた河野宗泰家の主屋。
河野家は「河宗」の屋号を持つ豪商で、
飫肥藩の特産品を扱って材を成しました。
この河野宗泰家は河野家の分家とのこと。

河野宗泰家主屋の向いは京屋渡邊家住宅。

京屋渡邊家住宅」。
京都より移住してきたとされる渡邊家は、
京屋」を名乗って廻船業で財を成した豪商。
明治期には大阪商船会社と提携し、
油津荷客扱店として関西と油津を繋ぎました。
現在は酒造会社となっているようで、
平成16年に朝ドラのロケ地にもなっています。


杉村金物本店主屋」。
港に通じる国道220号線沿いにある建物。
レトロな雰囲気の木造3階の建物で、
外壁を銅板で覆った外観が特徴です。
1階は店舗で2階3階が住居とのこと。

それ程古い建物は多くはありませんが、
雰囲気のある港町。
男はつらいよ 寅次郎の青春」で、
油津がロケ地となっているらしく、
ロケ地巡礼で訪れる人もいるそうです。

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 飫肥藩伊東家の居城跡。

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