光蓮寺にある山本忠亮の墓。
元々は光明寺裏の丘陵にありましたが、
後に光蓮寺に移されたようです。
「贈従五位山本忠亮藤原正胤墓」。
土佐藩士山本忠亮の墓。
山本は土佐勤皇党の加盟者で、
志操堅固、篤学の人だったとされ、
21歳で藩命で京都に赴き、
三条実美の衛士となっています。
文久3年の八月十八日の政変後も
三条に随伴して長州に落ち伸び、
更に五卿が太宰府に移転にも随従。
しかし程なく肺を病んで重篤になり、
再起が叶わない事を悟って、
慶応2年5月8日に自刃しました。
時世は、
「恥を知り捨てうるうき身も
武士の道に違わぬ心なりけり」
三条はその死を惜しみ、
「剣太刀吾身のうきに添ひ来つつ
旅路の露と消し人はも」
と詠んでおり、
その信頼と哀惜の程がうかがえます。
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