福岡県太宰府市 延壽王院


延壽王院太宰府天満宮留守別当の宿坊。
前身の安楽寺天満宮の頃よりあったとされ、
現在も宮司西高辻家の邸宅となっています。


延壽王院」。
安楽寺初代別当菅原平忠菅原道真の孫で、
以後も別当は菅原氏より選ばれますが、
後に現地に赴任しなくなっており、
留守別当大鳥居家小鳥居家が実務を担当。
宝暦4年(1754)には桃園天皇より、
[延壽王院]の院号を下賜されました。
慶応4年に大鳥居家は西高辻家に改姓し、
現在もここに居住しています。


七卿西竄碑」。
延壽王院の正門脇に設置された記念碑。
七卿落ちについて刻まれています。
飛騨出身の加藤鎮之助という人物が、
東久世通禧土方久元の知己を得て、
七卿落ちの史実が埋没することを憂い、
賛同者を募って大正2年に建立したもの。
七卿落ち図のレリーフ付きです。


現在も西高辻家の住居ですので、
見学することは出来ません。
従って遠くより眺めるのみですが、
正門横より前庭を覗く事は可能。
五卿は比較的自由が利いたようですので、
散歩しながら句をひねる事もあったでしょう。


五卿遺蹟」碑。
五卿西遷70周年祭を記念して建立された碑。
三條実美の次男三条公美の書とのこと。
大宰府天満宮側は五卿を受け入れる際、
境内各坊に一人一人を住まわす予定でしたが、
五卿はこれを拒んで同宿を希望。
この為に境内で一番広かった延壽王院を、
大鳥居家が明け渡す事となったようです。

七卿とは三条実実、三条西季知
四条隆謌、東久世通禧、壬生基修
錦小路頼徳澤宣嘉の七人の事で、
長州で病没した錦小路頼徳と、
生野の変に参加した澤宣嘉を除き、
太宰府に来た5人を五卿と呼んでいます。
五卿は一応幽閉というカタチでしたが、
ある程度の自由があったようで、
一定の饗応もされていました。
更には湯治にも出かけていたとされ、
福岡県筑紫野市 五卿の歌碑
非常にエンジョイしていた模様。
殺伐とした長州藩内よりも、
快適に過ごしていたのではないでしょうか?

■関連記事■
福岡県太宰府市 太宰府天満宮
 天満宮の総本宮のひとつ。
五卿の筑前行
 五卿の筑前行の行程。
山口県防府市 防府天満宮(再訪)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です