佐賀県三養基郡 基肄城跡

基肄城基山山頂にあった古代山城で、
大宰府政庁南方8㎞に位置しており、
北側の大野城と共に政庁を防御し、
南側の防衛拠点となっていました。

天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本百済連合軍は新羅連合軍に敗北。
唐・新羅の日本侵攻を恐れた天智天皇は、
大宰府政庁の防御を再構築に着手し、
大野城、基肄城、水城を建設します。

大宰府と取り囲む防衛施設」。
[水城跡パンフ]より。
基肄城は大宰府政庁南側にあり、
北側の大野城と共に防衛網を形成。
これにより鉄壁の守りとなりましたが、
大陸から侵攻されることはありませんでした。

県道300号基山公園線を登り、
基山草スキー場の駐車場で車を駐車。
結構な登り坂を徒歩で登って山頂へ。

基肄城跡」。
基肄城は基山山頂部に位置しており、
尾根を土塁で廻らせています。
約40棟の礎石建物跡土器が出土し、
溜池遺構門跡が発見されました。


基肄(椽)城跡」碑。
山頂部にある跡碑。
非常に絶景な場所であり、
大野城より城跡らしさはあります。
実は古代山城でありながら、
山頂部は中世山城にもなっていたようで、
こちらは[木山城]と称されていた模様。
どちらにせよ当ブログの範囲外の城で、
余り詳しくは判らないし、
根詰めて調べる気力もありませんが、
絶景を拝めるだけでも価値ありです。


天智天皇欽仰之碑」。
昭和8年に天智天皇を讃える為、
山頂に建立された銅製の碑。
はじめは銅像を建てる計画でしたが、
宮内省の許可が下りなかったとのこと。

今回は基肄城を含め3つの古代の城を巡り、
その巨大さには圧倒されました。
大大名の城を除けば藩庁は陣屋が多く、
当ブログのスケール感ではない。
飛鳥時代にこのような巨大な城が、
いくつも築城されていた事に驚きです。

■関連記事■
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 日本100名城に選出された古代山城。
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 日本100名城のひとつ。

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