米子城は吉川広家が築城した平山城で、
※諸説あり。
関ヶ原の戦い後に中村一忠に与えられ、
米子藩17万5000石の藩庁となった城。
徳川家康は一忠が幼少であった為に、
後見役として横田内膳を派遣しました。
内膳は家康の期待に応えて、… 続きを読む
鳥取県米子市 米子城跡
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米子城は吉川広家が築城した平山城で、
※諸説あり。
関ヶ原の戦い後に中村一忠に与えられ、
米子藩17万5000石の藩庁となった城。
徳川家康は一忠が幼少であった為に、
後見役として横田内膳を派遣しました。
内膳は家康の期待に応えて、… 続きを読む
知覧城は知覧町永里にあった中世山城。
平安末期の郡司知覧忠信による築城で、
文和2年(1358)に足利尊氏が佐多忠光に与え、
※佐多忠光は島津家4代島津忠宗の三男。
文保2年(1318)に大隅国佐多を与えられ、
佐多姓を名乗った。… 続きを読む
志布志城は志布志市のあった中世期の城。
築城年は不明ながら南北朝時代に存在し、
救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、
肝付氏、島津氏等が城主となっており、
島津氏久… 続きを読む
角牟礼城は鎌倉期の弘安年間(1278-1288)に、
玖珠郡衆の森朝通により築城された城。
玖珠郡衆は豊後守護大友家の支配下で、
角牟礼城は要衝の城として補強されつつ、
堅固な山城となっています。
天正14年(1586)の島津家の豊後侵攻でも、
次々と城が落とされる中で玖珠郡衆が籠城。
島津勢の猛攻にも耐えて落城しませんでした。… 続きを読む
基肄城は基山山頂にあった古代山城で、
大宰府政庁南方8㎞に位置しており、
北側の大野城と共に政庁を防御し、
南側の防衛拠点となっていました。
天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本・百済連合軍は… 続きを読む