志布志城は志布志市のあった中世期の城。
築城年は不明ながら南北朝時代に存在し、
救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、
肝付氏、島津氏等が城主となっており、
島津氏久… 続きを読む
鹿児島県志布志市 志布志城跡
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志布志城は志布志市のあった中世期の城。
築城年は不明ながら南北朝時代に存在し、
救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、
肝付氏、島津氏等が城主となっており、
島津氏久… 続きを読む
角牟礼城は鎌倉期の弘安年間(1278-1288)に、
玖珠郡衆の森朝通により築城された城。
玖珠郡衆は豊後守護大友家の支配下で、
角牟礼城は要衝の城として補強されつつ、
堅固な山城となっています。
天正14年(1586)の島津家の豊後侵攻でも、
次々と城が落とされる中で玖珠郡衆が籠城。
島津勢の猛攻にも耐えて落城しませんでした。… 続きを読む
基肄城は基山山頂にあった古代山城で、
大宰府政庁南方8㎞に位置しており、
北側の大野城と共に政庁を防御し、
南側の防衛拠点となっていました。
天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本・百済連合軍は… 続きを読む
水城は続日本100名城選出の古代の城で、
天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に敗北。
唐・新羅の日本侵攻を恐れた天智天皇は、
大宰府政庁の防御を再構築に着手し、
巨大な土塁の壁を建設します。
東側の大城山(四王寺山)と、… 続きを読む
大内氏館は大内家9代当主大内弘世以降、
山口を本拠とした際に建設され、
代々大内家当主が居住しており、
毛利家の山口侵攻まで使用された居館。
弘世は京都に模して山口の街並みを創り、
その居館を将軍邸宅を模して建設しました。
「… 続きを読む
高嶺城は戦国時代に築城された山城。
大内氏が山口を本拠とした際に、
京都を模した山口の街並みを構築しますが、
この為に要塞的な城は築かれず、
街の中心に居館が建てられていました。
大内氏は最盛期には中国… 続きを読む
織田信長は羽柴秀吉に中国攻めを命じ、
これに応じて秀吉は中国地方に侵攻を開始。
秀吉は播磨、但馬、因幡を平定し、
毛利家の勢力圏内に迫りますが、
毛利家は境目七城を防衛ラインとし、
織田勢との戦いに備えます。… 続きを読む