続日本百名城」タグアーカイブ

佐賀県三養基郡 基肄城跡

基肄城基山山頂にあった古代山城で、
大宰府政庁南方8㎞に位置しており、
北側の大野城と共に政庁を防御し、
南側の防衛拠点となっていました。

天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本百済連合軍は… 続きを読む

福岡県太宰府市 水城跡

水城続日本100名城選出の古代の城で、
天智天皇2年(663)の白村江の戦いで、
日本・百済連合軍唐・新羅連合軍に敗北。
唐・新羅の日本侵攻を恐れた天智天皇は、
大宰府政庁の防御を再構築に着手し、
巨大な土塁の壁を建設します。
東側の大城山(四王寺山)と、… 続きを読む

山口県山口市 大内氏館跡

大内氏館大内家9代当主大内弘世以降、
山口を本拠とした際に建設され、
代々大内家当主が居住しており、
毛利家山口侵攻まで使用された居館。
弘世は京都に模して山口の街並みを創り、
その居館を将軍邸宅を模して建設しました。


「… 続きを読む

山口県山口市 高嶺城跡

高嶺城戦国時代に築城された山城
大内氏山口を本拠とした際に、
京都を模した山口の街並みを構築しますが、
この為に要塞的な城は築かれず、
街の中心に居館が建てられていました。
大内氏は最盛期には中国続きを読む

岡山県岡山市 備中高松城跡/清水宗治首塚

織田信長羽柴秀吉中国攻めを命じ、
これに応じて秀吉は中国地方に侵攻を開始。
秀吉は播磨但馬因幡を平定し、
毛利家の勢力圏内に迫りますが、
毛利家は境目七城を防衛ラインとし、
織田勢との戦いに備えます。… 続きを読む

千葉県夷隅郡 大多喜城跡

大多喜城大多喜藩の藩庁。
大永元年(1521)に真里谷信清が築城し、
小田喜城と称したことに始まります。
信清の次代真里谷朝信は、
里見家家臣正木時茂によって攻められ、
小田喜城を奪われており、
以後は正木信茂、… 続きを読む

三重県度合郡 田丸城跡

田丸城南北朝時代に築かれた城で、
北畠親房による築城とされます。
足利尊氏に攻め落とされていますが、
室町時代に再建されており、
北畠政郷の四男顕晴田丸姓を名乗り、
以後は田丸家の居城としていましたが、
戦国時代の城主田丸直昌が、… 続きを読む