織田信長は羽柴秀吉に中国攻めを命じ、
これに応じて秀吉は中国地方に侵攻を開始。
秀吉は播磨、但馬、因幡を平定し、
毛利家の勢力圏内に迫りますが、
毛利家は境目七城を防衛ラインとし、
織田勢との戦いに備えます。… 続きを読む
岡山県岡山市 備中高松城跡/清水宗治首塚
コメントを残す
織田信長は羽柴秀吉に中国攻めを命じ、
これに応じて秀吉は中国地方に侵攻を開始。
秀吉は播磨、但馬、因幡を平定し、
毛利家の勢力圏内に迫りますが、
毛利家は境目七城を防衛ラインとし、
織田勢との戦いに備えます。… 続きを読む
洞雲寺は廿日市市にある曹洞宗寺院。
厳島神社神主藤原教親の開基で、
長享元年(1487)に金岡用兼禅師が創建し、
その師為宗仲心禅師を開山としています。
「洞雲寺」。
本尊は… 続きを読む
志道家は毛利家庶流坂氏の一門で、
坂広秋の四男志道元良を祖とする家。
2代志道広良は毛利元就の器量を見抜き、
早くから元就と親交を結び、
元就の軍師的な役割を担いました。
その後も代々毛利家に仕えており、
防長移封後は於福3000石を与えらえ、… 続きを読む
長州藩の寄組国司家は、
足利尊氏の家臣高師泰の子高師武が、
高田郡国司荘を領して国司姓を名乗り、
安芸毛利家に仕えた譜代の家。
一貫して毛利家の重臣として活動し、
特に7代国司元相は毛利隆元… 続きを読む
宗勝寺は福岡市東区下原の曹洞宗寺院。
「宗勝寺」。
小早川隆景の重臣乃美宗勝が、
隆景に従い立花城代を務めていた際、
その妻を病で亡くしてしまい、
彼女を弔う為に真福寺を建立。
後に宗勝は文禄の役… 続きを読む
国司家6代当主国司元武は、
父国司元相の隠居により家督を継ぎ、
毛利家五奉行のひとりとして活躍。
毛利輝元の守役も務めており、
輝元より絶大な信頼を得ていたという。
息子の早世で跡取りが居なかった為、
弟の国司元蔵に家督を譲りますが、
隠居後も朝鮮出兵… 続きを読む
桂昌寺の阿武町惣郷にある曹洞宗寺院。
寺伝によれば惣郷村の知行主兒玉廣恒が、
父兒玉元恒の菩提を弔う為に創建し、
元恒の法号より桂昌寺としたという。
「桂昌寺」。
神宮山北麓の寺尾にあり、
寄組兒玉家の知行地惣郷を臨みます。
ここに兒玉家墓所かあるということで、… 続きを読む