長州藩の寄組国司家は、
足利尊氏の家臣高師泰の子高師武が、
高田郡国司荘を領して国司姓を名乗り、
安芸毛利家に仕えた譜代の家。
一貫して毛利家の重臣として活動し、
特に7代国司元相は毛利隆元の守役を務め、
生涯で130の首級を挙げた豪の者で、
後に毛利元就が五奉行制を定めると、
赤川元保、粟屋元親、桂元忠、
児玉就忠と共にその一人に就任。
将軍足利義輝に面会した際には、
槍の鈴の免許を与えられています。
長州藩設立後は寄組士となっており、
万倉5600石を与えられて、
歴代当主は家老職を務めました。
「國司左京亮墓所」。
国司荘(現吉田町国司)にある国司家の墓所。
菩提寺であった休照庵の跡地とのこと。
五輪塔、宝篋印塔、石灯篭の部材が、
94個集積されているとのこと。
どれが誰の墓かは判りません。
国司家は高師武を初代とし、
国司元詮、国司広詮、国司光宣、
国司有純、国司有相と続き、
7代国司元相へ至っていますが、
ここに全ての当主の墓石があるのかは、
確認出来ないので定かではありません。
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