広島県安芸高田市 福原家墓所

長州藩の準一門家である福原家は、
安芸毛利家4代毛利元春の五男が、
縁戚である備後長井家の養子となり、
後に内部荘福原村を領して福原姓に改め、
福原元世と名乗った事に始まります。
毛利家に終始協力しており、
更に8代福原広俊の娘が毛利弘元に嫁ぎ、
毛利興元毛利元就を出産。
外戚として準一門の地位を得ました。

安芸高田市の福原家墓所は、
吉田町福原にある楞厳寺跡

福原家墓所入口。
門で閉ざされてはいますが、
鍵は掛けられてはおらず入る事が出来ます。
イノシシシカが出て来ないように、
この門を設置している模様。


福原家墓所」。
少し登ると現れる福原家の墓所。
楞厳寺は10代福原広俊の菩提寺で、
毛利家の防長移封の際にに移転し、
後に徳隣寺に改称されました。
山口県萩市 徳隣寺/福原家墓所
墓所は東西の二ヶ所に分かれており、
こちらは東墓地となっています。


釈迦堂」。
11代福原貞俊が先祖を祀った御堂
倒木で屋根が大変な事になっていました。


東墓地。
福原大江朝臣広俊(右)」、
福原大江朝臣貞俊(中央)」、
祥室妙吉禪尼墳墓跡(左)」。
10代当主福原広俊の墓、
11代当主福原貞俊の墓。
毛利弘元室(毛利元就母)の墓跡。
10代広俊は9代福原貞俊の子で、
毛利家の筆頭家老を務めており、
福原家の立場を盤石にしています。
11代貞俊は10代広俊の嫡男で、
主要な戦いに従軍して活躍し、
毛利輝元を補佐する四人衆と称され、
小早川隆景と共に山陽方面を担当。
弘元室の墓はここにあったようですが、
大正10年に弘元の墓地に改葬されました。

西墓地は約50m西側にあります。

西墓地。
福原大江朝臣元俊(左)」、
福原広俊息女(右)」。
12代当主福原元俊の墓と、
10広俊の娘の墓。
12代元俊は11代貞俊の子で、
毛利隆元より偏諱を受けており、
豊臣秀吉から豊臣姓も賜わっています。
10広俊の娘については不明。
元俊とは叔母と甥の関係ですが、
何故二人の墓は並んであるのでしょう。

■関連記事■
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 福原家13代当主墓所。
山口県萩市 徳隣寺/福原家墓所
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