高瀬藩は熊本藩の支藩。
寛文6年(1666)に熊本藩3代藩主細川綱利が、
実弟細川利重に蔵米3万5000石を分与し、
熊本新田藩として立藩させています。
参勤交代を行わない定府大名だったようで、
藩主は江戸の鉄砲洲に居住していましたが、
明治維新後に新政府が新田藩を諸侯と認めず、
藩としての領地が必要となった為に、
熊本藩は高瀬周辺3万5000石を分与。
高瀬町奉行所を仮藩庁としましたが、
玉名郡岩崎村に陣屋を建設し、
高瀬陣屋としてこれを藩庁としました。
「玉名町小学校(高瀬陣屋跡)」。
高瀬陣屋跡は現在の玉名町小学校と、
その東隣の玉名女子高等学校の敷地。
陣屋地は2.3haであったとされ、
周辺に家臣団家族700人の屋敷を配し、
合わせて10haの広さがあったという。
「高瀬藩陣屋跡地」。
小学校南門を入った東側に、
跡碑等の碑が置かれています。
右の碑は跡碑なのに校歌が刻まれており、
なかなか変わったスタイル。
遺構等はなにも残っていないようで、
これらの碑だけが陣屋地を示しています。
熊本新田藩10代藩主細川利永は、
江戸在住の藩士300家を引き連れ、
高瀬町に移って高瀬藩を立藩。
熊本藩の高瀬町奉行所を仮藩庁として、
正式な藩庁を建設を進めました。
明治3年5月に陣屋は完成目前となり、
藩庁移転が進められますが、
利永は政府から知藩事の任命を得られず、
同年9月に熊本藩への統合が決定。
高瀬陣屋の建設は中止される事となり、
藩士らは熊本藩に編入されます。
この為に高瀬藩は僅か3年で消滅しますが、
江戸に住んでいた藩士らが移住した為、
高瀬には遠く離れた江戸の文化が流入し、
更に教育も発展することとなりました。
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・東京都台東区 谷中霊園/高瀬藩細川家墓所
高瀬藩細川家の10代細川利永の墓所。
・熊本県宇土市 宇土陣屋跡
熊本藩の支藩宇土藩の陣屋跡。