細川家」タグアーカイブ

熊本藩熊本市 泰勝寺跡/熊本藩細川家墓所②

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つづき。


諦了院殿中大夫羽林次将
 越州太守覺海義廣大居士 覺靈
」。
10代当主(8代藩主)細川斉茲の墓。
宇土藩5代細川興文の三男に生まれ、
父興文の隠居に伴い宇土藩主となります。
宇土藩主時代に天明飢饉が発生しており、
領内の… 続きを読む

熊本藩熊本市 泰勝寺跡/熊本藩細川家墓所①

①/

小倉藩藩主であった細川忠興は、
細川藤孝の追善の為に泰勝院を建立。
当初は小倉に創建されていましたが、
細川家の熊本藩への加増転封により、
忠興の隠居地八代の移転されます。
また熊本藩初代藩主となった細川忠利続きを読む

熊本県熊本市 細川刑部家墓所

細川忠興の五男細川興孝は、
忠興より2万5000石を与えられ、
※後に1万石となる。
一門家老家として細川刑部家を創設。
泰勝寺塔頭慈眼庵を墓所としています。


細川刑部家墓所」。
慈眼庵は維新後に廃寺となっており、
現在は細川刑部家墓所のみ残ります。… 続きを読む

熊本県熊本市 細川内膳家墓所

細川忠興の嫡男だった長岡忠隆は、
前田利家の七女千世姫を正室としますが、
石田三成細川ガラシャを人質とする為、
大坂玉造の細川屋敷を包囲した際、
千世姫は姉の豪姫の指図で前田屋敷に避難。
ガラシャは家臣に自らを殺させて、
屋敷を火薬で爆破させていますが、
千世姫が義母を置いて逃げた事が発覚し、
忠興は激怒して忠隆に… 続きを読む

熊本県熊本市 妙解寺跡/熊本藩細川家墓所②

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つづき。

※以下墓碑銘が読めないものが多く、
 標柱の銘を参照しています。


細川家第五代 綱利の墓」。
5代当主(熊本藩3代)細川綱利の墓。
2代藩主細川光尚の長男として生まれ、
7歳で父の死去により家督を相続。
元服まで幕府目付と親戚小笠原忠真続きを読む

熊本県熊本市 妙解寺跡/熊本藩細川家墓所①

①/

熊本藩細川家の墓所は2ヶ所。
ひとつは横手(上北岡)の妙解寺跡にあり、
もうひとつは黒髪(立田)の泰勝寺跡です。
今回訪問する妙解寺跡はそのひとつで、
2代藩主(細川家4代)細川光尚が、
父で初代藩主の細川忠利続きを読む

熊本県宇土市 宇土藩細川家墓所②

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つづき。
※墓所では初代細川立孝となっていますが、
 行考は藩主就任前に死去しており、
 実際にはその子細川行孝が初代藩主。
 記事では行考を初代としていますので、

 墓所表記より1代少なくなっています。


幽巖寺殿心海月翁大居士」。
5代藩主細川興文の墓。
3代細川興生続きを読む