護國寺にある三条実美の墓所。
「内大臣正一位大勲位三条公之墓」。
二つの鳥居の先にある三条実美の墓。
権中納言、攘夷勅使、国事御用掛等を務め、
尊皇攘夷派公家の中心的存在でしたが、
八月十八日の政変で失脚して長州に下り、
第一次長州征伐後に大宰府に移ります。
王政復古後は議定、右大臣等を務め、
明治4年に太政大臣に就任しました。
内閣制度創設後は内大臣となり、
2代黒田内閣の総辞職後は臨時首相を兼任。
明治24年に死去しています。
死因はインフルエンザによるものという。
墓所の前には三条を称える碑があります。
「故内大臣正一位大勲位三条公神道碑」。
明治天皇の勅命による三条実美の神道碑。
勅命の神道碑は勅撰碑ともいうようです。
「感舊之碑」。
これも三条の碑で没翌年に建てられたもの。
四条隆謌や東久世通禧など、
七卿落ちの盟友が三条の死を悼んでいます。
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