不破美作正寛は幕末の久留米藩参政で、
開明派に属して佐幕的な政権を担い、
財政改革、軍制改革、軍艦の購入等、
富国強兵的な政策を推進しますが、
藩内の尊攘派からは敵視されており、
慶應4年1月26日に尊攘派の襲撃に遭い、
応戦するも討ち取られています。
「ランドゥール城南の杜(不破美作邸跡)」。
不破美作邸があったとされる場所で、
現在は巨大なマンションになっています。
※たぶんマンションの敷地の一部。
慶應4年1月26日に久留米城より帰宅した際、
自邸前で尊攘派24名に襲撃され、
これに30分余り応戦したようですが、
力尽きて討ち取られてしまいました。
24名の襲撃なので1人ではなく、
不破の従者もいたと思われますが、
主従共に逃げずに戦ったのでしょう。
不破は容貌も才智も人に優れていた為、
11代藩主有馬頼威より「美作」の名を賜ります。
兄の不破孫市が安政2年の地震で死亡した為、
家督を継いで江戸に出仕。
そこで多くの学者や識者に接しており、
更に多くの書物を読破して見識を深めて、
世界の大勢や西洋文物に通じていたという。
その不破の知識を藩は重用し、
藩政改革に取り組む事となりますが、
しかし久留米藩の尊攘派はこれを敵視し、
その才能を散らすことなりました。
マンション向かいには長屋門があります。
「旧三島家長屋門」。
知行300石の梶村家の長屋門で、
明治30年頃に梶村家の屋敷が、
三島家の所有となって以降、
平成13年まで三島家の門でした。
これは通町の三島家にあったもので、
久留米市に寄贈されて移築したもの。
■関連記事■
・福岡県久留米市 本泰寺/不破美作墓所
久留米藩の参政不破美作の墓所。
・福岡県久留米市 十志士碑
久留米藩開明派十士の慰霊碑。
・福岡県久留米市 梅林寺/寄せ墓
梅林寺にある寄せ墓。
