豆行記事 桂小五郎①

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嘉永7年11月より安政元年12月21日まで、
※嘉永7年11月27日に安政改元した為、
 安政元年は僅か1ヵ月しかない。

桂小五郎伊豆下田へ視察に行っています。
桂はこれを「豆行記事」として残しており、
今回はその行程を追ってみました。


11月11日
卯の上刻に①湯ヶ島を発して②天城山に登る。
山頂は頗る堅にして風が寒い。
道端の霜柱は3寸もあって雲のようだ。
歩いていると常に樹木しか見えない。
辰の中刻に頂上に登り午後に③梨本村へ。
この間にひとつの小さな滝があったが、
その形が奇妙であった。
※日記は湯ヶ島温泉より始まり、
 天城越えをして梨本村に至ります。
 小さな滝に言及していますが、
 道中には浄蓮の滝をはじめ滝が多く、
 どの滝を指しているのかは不明。

梨本より小鍋峠を越えて④北ノ澤に至る。
ここに大きな楠がある。
安井峠を過ぎて⑤蓮臺寺まで行き、
一店に至り〇〇〇作五郎方に宿泊。
浦賀西野と縁があるものという。
※〇〇〇作五郎の〇〇は判別不能。
 浦賀の西野という宿(?)の親戚か?

温泉に浴す。
旅人に会って下田の様子を聞くと、
異国船も少し壊れている様子で、
この日大砲等をここの浜に上げて、
これを修理しているという。
安政地震によって下田は被害を受け、
 露艦ディアナ号が遭難しました。
 桂はこれを見に行ったと思われます。

夜に山本喜介の様子を問う。
しばらくするとある店の主人が来て、
山本の一族は我が家に宿しているという。
※山本喜助(介)はどういう人物か不明。
 桂の旧知の人物のようですが、
 一族も下田に住んでいるようなので、
 長州藩の人間ではない模様。
 たぶん斎藤道場の門下と思われます。



11/11の行程。

12日
喜助に会いに行き、
朝に彼の母子らが我が宿に来て、
下田の事を教えてくれた。
異国船の様子は昨日の旅人の話の如し。
午後に山本喜助を伴って①柿崎村に至る。
道路は破壊されて大船が周囲にあり、
下田を見渡すと所々に家があって、
数十の船舶が市中に打ち上げられ、
原野のようであった。
柿崎の前にバツテイラ(異国船)があり、
傍らで異人が小屋を営み修繕を行っている。
1~2丁先に1つの小屋があり、
又1~2丁先の浜に大破したバツテイラがある。
この浜をヒサシカタ浜という。
その先が柿崎村で傍の寺が玉泉寺という。
寺には米人の墓が3つあった。
静岡県下田市 下田湊⑤/玉泉寺
帰路に②下田を廻って破損の跡を見るに、
世人から聞いた話よりも酷い。
しばらく歩くも草履の破れを直す家はなく、
素足になって③帰る。巳に申の中刻なり。

13日
巳の刻より④本郷の古賀旅館に至り、
横尾小二郎北畠五郎を訪問。
※彼らも下田出身の斎藤門下か?
両人は5日に江戸より帰っていた。
家人が鮮魚を出し酒を進めてくれて、
酔い潰れるまで語り明かす。
夜中に家人が天災や異国船の事を話した。

14日
朝に山本の老婆が来て酒を1樽持って来た。
辰ノ中刻より下田から土浦に至る道で、
異人が弁天浜からバツテイラに帰るを見る。
西野を訪問した帰路に異人2人に逢う。
巳ノ下刻に宿に帰る。
しばらくすると山本喜介が来訪したので、
酒肴を出したが一滴も飲まずに夕方帰った。
夜に一奇事あり。
※一奇事が気になりますが何か不明。

15日
早天に中村氏近藤良二に会おうとし、
土浦に至って不意に出会う。
※中村氏は幕臣中村為弥の事か?
 近藤良二はわかりません。

少し話してそのまま帰った。
明朝に帰り支度を整えていると、
不意に津山の人河路の従者が来た。
※河路は川路聖謨の事でしょう。
 津山の人は誰だかは不明。
曰く明朝に守山氏が異国船に行ったという。
少し話して別れた。
※守山氏は通詞森山栄之助と思われます。

16日
朝に中村氏と話しもう1日居る事とす。
彼の津山人が異国船より帰ったので、
どうだったかを聞きたいと思い、
店の主人に彼に来て欲しいと伝えた。
夜に彼が来て乗船時の事を話す。
酒を出した。
※津山人がよくわかりません。

つづく。
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